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社会科学系学部卒・男性のインテリアコーディネーター

主として、「インテリアコーディネーター」と住宅・建築・インテリア・不動産に関係する資格と資格試験に関係する内容

社会科学系学部卒・男性が会社から求められてインテリアコーディネーターを取得するとどうなったかというお話

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社会科学系学部卒・男性が会社から求められてインテリアコーディネーターを取得するとどうなったかというお話

[第2回]
   千葉県インテリアコーディネーター協会の会員名簿とリンクしたブログとして「社会科学系卒男性のインテリアコーディネーター」として開始しました。

   千葉県インテリアコーディネーター協会の会員名簿とリンクした上での自己紹介として、下記のものを考えました。
 
《年代》 どこかの大学の教授で『ゼロから始める木造建築入門』『ゼロから始めるRC造建築入門』『ゼロから始めるS造建築入門』『マンガでわかる構造力学』(彰国社)などの著者の原口秀昭さんと同年代。
 『東京の近代建築―建築構造入門』(理工学社)の著者の江口敏彦さんとも似た年代。 この本はなかなかわかりやすく書かれていて、そこは気に入っているのですが、私などは高校を卒業する頃、卒業した頃、「うちは、工学部なんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と父から耳鳴りがするくらい言われたものです。私は、東大の理科1類に通ったか、京大の工学部建築学科に通ったかというと、それはわからないが、ともかく、国立大学の建築学科というくらいなら行ける大学は間違いなくあったと思うが、「うちは工学部みたいなもん、行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言われ、「国立大学なら法学部でも経済学部でも工学部でも学費は一緒のはずや」と言っても、「100%絶対に通るとは限らないでしょうが。たとえ、0.1%でも落ちる可能性がないとは言えない以上、国立大学でも工学部みたいなもの、受けてはいかんでしょうがあ」と母に言われたものです。その結果、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部に、そんな大学に行かされるくらいなら大学なんか行かない方がましだと言いましたが、その日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部に無理矢理行かされてしまいました。「大学院に行きたいなんぞと考える人間は、モラトリアム人間病という病気にかかっている甘ったれ人間で病気です。慶應大学の小此木啓吾先生がそうおっしゃってる」と父から毎日毎日耳鳴りがするくらい言われてきた。今でも耳元でその文句がわんわんなっている。著者 江口敏彦さんは近大の建築学科卒・ポン大の大学院卒、近大の建築学科しか行けないような人間が工学部に行かせてもらって、大学院まで行かせてもらって研究者の道に進ませてもらえるやなんて・・・・とか、どうしても考えてしまいます。蹴っ飛ばしてやる・・・わけにもいかないとしても、蹴っ飛ばしてやりたいくらいの気持ちです。父は「高校は義務教育じゃないんだから、おまえが北野高校に行ったのは余計じゃ。甘ったれておるから北野高校になんぞ言ったんじゃ」と毎日毎日耳鳴りがするくらいに言い続けました。「おまえみたいなもん、高校行かんでもええんじゃ。おまえは中学校卒業して働くべきなんじゃ。このチャンコロめが」と毎日毎日言い続けました。この江口敏彦さんという人は、近大にしか行けない人なのになぜ大学に行くのかわかりません。又、ポン大の大学院に行くような人間が、なぜ、高校に行くのかもわかりません。ポン大の大学院にしか行けない人がなぜ大学院に行くのか、モラトリアム人間病という病気と違うのか!!! 「治療」してやる必要があるのと違うのか!!! と思うと、胸くそ悪くてしかたありません。

     
《インテリアコーディネーター資格 https://www.interior.or.jp/ic/  》
 1997年登録。(1996年の試験で合格)
 
《その他の住宅・建築・インテリア関係の保有資格》
キッチンスペシャリスト(インテリア産業協会)https://www.interior.or.jp/ks/
2級建築施工管理技士
宅地建物取引士
 建築CAD検定2級(建築CAD連盟)http://www.aacl.gr.jp/
Word文書処理技能2級(サーティファイ)http://www.sikaku.gr.jp/ns/wd/
Excel表計算処理技能3級(サーティファイ)https://www.sikaku.gr.jp/ns/el/
住宅ローンアドバイザー(住宅金融普及協会)https://www.loan-adviser.jp/HlaCmnTopAct.do?top

 
 
《職歴》 戸建住宅建築請負業を中心として、営業・施工管理その他。
 
《学歴》(高校)ウチワとアクビの松嶋みどり・城崎温泉竜太郎と同じ 大阪府立北野高校卒。 世の中の人間には、「国公立系」族と「私立系」族がいるという話が何かの雑誌に掲載されていました。北野高校というのは慶應大の教授に最も嫌われている高校らしく、慶應という大学は、講義の最中に教壇でマイクに向かって「北野高校の人間というのは、『どうして私学だったらいいんですかあ?』なんて言うでしょう。バカか! 私学だってことは、いいってことじゃないか。北野高校の人間というのはこの程度の常識もわからんのかあ!」と固有名詞をあげてひとの出身校の悪口を言う方とかおられる大学ですが、そう言われると、「せ~んせえ~え。どうして、『私学だったら、いい』というのが常識なんですかあ~あ? な~んで、そんなもの、『常識』なんですかあ~あ?」と言いたくなる「公立族」です(逆らうとうるさそうなので言いませんけどね・・・)。
  (大学)スキンヘッド山下大輔と同じ 慶應義塾大学商学部卒。
経済学部と商学部の違いがわからない人がけっこういますが、慶應の場合は、商業学・経営学・会計学など経済学以外の分野も学ぶが経済学に比重があるのが経済学部で、経済学も学ぶが商業学・経営学・会計学など経済学以外の方の比重が経済学部に比べると大きいのが商学部です。もうひとつ、慶應独自の違いとして、内部進学の人の割合が大きいのが経済学部で、慶應の社会科学系学部の中では大学から入った者(内部進学の人が言うところの「外部の者」)の割合が大きいのが商学部です。私の場合、もともと、哲学徒で、もし、社会科学系学部に行くのなら法学部というつもりであった者が、何の因果か商学部に行ってしまったので、卒業証書には「商学士」とありますが、「(商学部+法学部+哲学・心理学)÷3」のような「商学士」として卒業しました。
 愛知産業大学の建築学科(通信課程)に入学させてもらったのですが、なかなか、仕事を持ちながらの通信教育というのは大変。通学過程なら、同じクラスの人たちと情報交換しながらなんとか・・というのがあっても、通信で学ぶというのは思ったより大変で、3分の1くらい履修しましたが、そこで「中退」しました。残り、3分の2も学びたい気持ちはありますが、他にも学ばないといけないものもあり、中途で止まっています。

   
  《愛読書》大塚久雄『生活の貧しさと心の貧しさ』(みすず書房)他
 
《建築に関する愛読書》杉山英男『デザイナーのための木構造』(彰国社)
ブルーノ=タウト『日本美の再発見』(岩波新書) 他

   それで。 なにゆえ、インテリアコーディネーターhttps://www.interior.or.jp/ic/ の資格を取得しようと考えたのかというと、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ に入社して2年目の1993年、営業本部長からインテリアコーディネーターを取ってくれと言われたので、会社の上役がある資格を取ってくれと言う以上は、その資格を取得した人間としての仕事をさせたいという考えがあるのだろうと思って、上役が取ってくれと言う以上は、何としても取らないといけないと思って、片方で営業としての仕事をこなしてある程度以上の契約実績を残しながら、大変な努力と工夫によって、なんとか合格することができた・・・・というものだった。
   キッチンスペシャリストhttps://www.interior.or.jp/ks/ は、なぜ、取ろうと考えたかというと、最初、実際よりも簡単かと思ったのだ。ひとつには、ハウジングエージェンシー(株)の社長 三島俊介さんの著書『インテリア・建築業界でゼッタイ有利な資格の本』(1993.5. こう書房)に、インテリアコーディネーター・インテリアプランナー・キッチンスペシャリスト・宅地建物取引主任者・2級建築士・照明コンサルタント・消費生活アドバイザー・商業施設士・DIYアドバイザー・マンションリフォームマネージャーの10資格について、「取得が比較的楽」かどうかについて、◎、〇、表記なし の3種類に分けて書かれており、照明コンサルタントに◎、DIYアドバイザーとキッチンスペシャリストに〇がついていたので、キッチンスペシャリストは「取得が比較的楽」なのかと思ってしまったのだ・・・・が、実際に受けてみると、ちっとも「取得が比較的楽」なんてことなかった。三島さん、ええかげんなこと書いたらあかんで。
   キッチンスペシャリストは、学科試験と製図試験からなり、インテリアコーディネーターは1次が学科試験で、1次の学科試験に合格した者が2次の製図と論文の試験を受けることができたが、キッチンスペシャリストはそうではなく、同日の午前に学科、午後に製図の試験が実施され、学科に合格かどうかにかかわらず製図の試験を受けることができた。私がインテリアコーディネーター試験を最初に受けたのは1993年、キッチンスペシャリスト試験を最初に受けたのは1994年。 インテリアコーディネーター試験は最初に受けた1993年のみ、大妻女子大が受けた試験会場で、インテリアコーディネーター試験の2回目以降とキッチンスペシャリスト試験はすべて青山学院大学で受験した。何がなんでも通らないとと、最後は意地で通ったが、青山学院は自分が卒業した学校ではないが、10月にインテリアコーディネーター試験の1次、11月にキッチンスペシャリスト試験、12月にインテリアコーディネーター試験の2次があって、何度も通ったことから、母校ではないのだが、なんだかなつかしい思いがする場所になった。
   キッチンスペシャリストが「取得が比較的楽」なんて、とんでもない! と私は思う。 取得が大変なのは理由が3つある。 1つは、もともと、そんなに取得が楽な試験じゃないこと。2つ目は、試験の内容、特に製図の方が製図でも特殊なもので、キッチン製図のテキストがあまり販売されていなかったため、学習しようとしても学習しにくかった。(今は、ハウジングエージェンシーから、中原章『キッチン製図入門』が出ている。) 3番目は、キッチンスペシャリストの試験対策の講座を受講しようとしても、東京か大阪でしかやっていない。その為、「地方」に勤務している人間にとったは通いにくかった、ということがあった。 2級建築士なら、地方都市でも、日建学院とかが学科試験対策も製図試験対策も講座を持っている。 インテリアコーディネーターは日建学院は製図だけ講座を持っていたという話を聞いたが、受講する人があまりないのでなくなったという話も聞いたが、今はどうなっているかわからない。ハウジングエージェンシー他、何社がインテリアコーディネーターは1次対策も2次対策も講座を持っていて、東京・大阪などで実施している。ところが、キッチンスペシャリストになると、東京か大阪で実施されることはあるが、企画しても応募する人が多くないとかで中止になってみたりする。私は、ハウジングエージェンシーのキッチンスペシャリストの製図講座に通って、最後は何とか合格できたが、1.もともと、簡単じゃない。2.製図は特殊で私が受験を始めた頃はテキストがあまりなかった。3.地方都市では試験対策の講習をやっている所はない・・・といったことで、キッチンスペシャリストは決して「取得が比較的楽」な試験ではない・・・にも関わらず、簡単なのかと思って受験を始めてしまった。
   かつ、最初に受けた1993年では、学科と製図を同時に合格しないといけなかったが、2回目の受験の1994年から、学科だけ合格の場合、翌年から3年間は「学科免除」で製図だけ受験することが可能になってしまった。 その結果、「せっかく、学科に通った以上は製図も通らないと」という気持ちになってしまったのだ。しかし、キッチンスペシャリスト試験が「比較的楽」なのは、あくまで、学科に合格することについてであって、製図試験は「比較的楽」ではないのだ。かつ、学科試験にぎりぎり合格できるレベルの学科の能力では製図試験に合格するのは難しいので、結果として、学科も決して「比較的楽」ではないことになる・・・が、「比較的楽」なのかと思って、インテリアコーディネーター試験に合格できるなら、キッチンスペシャリスト試験も「ついでに」みたいに合格できるのか・・・みたいに思ってしまって、受験を始めてしまって・・・・・、「いったい、どこが『取得は比較的楽』やねん! と思い知らされた。 ちっとも楽じゃない。 むしろ、インテリアコーディネーターの2次の製図は、三角定規やコンパスを使用しての製図で、キッチンスペシャリストの製図はフリーハンドで書けというもので、キッチンスペシャリストの製図試験というのは、「キッチンを中心としたキッチン・ダイニング・リビング」が出題対象となることが多いので、インテリアコーディネーター試験と出題対象がかぶることが多く、似た対象の製図を異なる手法で書くというのは、同時にやると頭が混乱する・・という事態になってしまい、その結果、両方の合格が遅くなってしまったようなところがあった。これから受けようという人は、より大事と思う方を先に合格して、その後、もう1つ取得するべきか必要ないか考えて決めた方がよいと私は今は思う。
   ちなみに、私のインテリアコーディネーター(I.C.)とキッチンスペシャリスト(K.S.)の試験の受験歴は、
1993年 I.C. 1次不合格。
1994年 I.C. 1次不合格。 K.S. 不合格。
1995年 I.C. 1次合格。 K.S.学科合格、製図不合格。
1996年 I.C. 1次免除、2次合格。 K.S. 学科免除、製図不合格。
1997年 K.S. 学科免除、製図不合格。
1998年 K.S. 学科免除、製図不合格。
1999年 K.S.学科合格、製図不合格。
2000年 K.S.学科免除、製図不合格。
2001年 K.S.学科免除、製図合格。
受験会場は、1993年のインテリアコーディネーターのみが大妻女子大で、他は青山学院大学でした。 ちなみに、大妻女子大というのは、女子大なのに男性用トイレがある!!! すごい!と思いませんか? ・・・そんなことに感動するのは私だけか? 実際、受けに行く前、男が女子大なんて所に入っていいのか? 女子大に男性用トイレはあるのだろうか? も~しも、なかったら、どうしよっ・・・・とか考えたものだ。 もっと、試験問題について考えればよかったのにね・・・・。

   (株)一条工務店に入社した時、営業本部長のA野は「慶應大学の卒業生がうちの会社に来てくれるのかと思ってびっくりした」と言って喜んでくれた・・・・はずだ。 だから、それだけ、喜んでくれるのなら、ここに勤めて悪くないのではないかと思ったし、それだけ、喜んでくれるなら、慶應義塾の卒業生としての仕事をさせてもらえるのだろうと思った・・・・が、(株)一条工務店の中卒や高卒のオーナー経営者が考えることはそうではなかったようだ。 「うちの会社にも慶應でた人間いるんですよお」と言うのに使える! とか思っただけで、活用しようという気持ちはなかったようだ。
    私は、最初、東京営業所に入社したが、私が入社した時に見た「ビーイング」には「転勤はありません」と書かれていたが、それにもかかわらず、2年目に福島県いわき市の営業所に行ってくれと言われた。 「〇〇くんは、慶應大学の出身の人ですから、他の人とは違っていろんな所を経験してもらおうと思いました」と言ったはずだ。 それはおかしな話ではない。 求人広告に「転勤はありません」と書かれていたとしても、慶應義塾大学商学部の卒業証書を手にした時から、「一般職」とか「地方限定社員」としての採用はないと考えるしかないと私は認識してきた。 あるのは「総合職」「全国社員」として採用か不採用かどちらかである、と。だから、「〇〇くんは、慶應大学の出身の人ですから、他の人とは違っていろんな所を経験してもらおうと思いました」と口に出して言おうが言うまいが、そういう内容のはずだ・・・が、「転勤はありません」と求人広告に掲載している以上、それもまた無視して良いはずはないが、そういうことを考える会社ではなかったようだ。 なにしろ、カタログに「(株)一条ヨーロッパ(バルセロナ)」と書いていて、ヨーロッパからの輸入家具を扱う会社を持っていて、バルセロナに駐在所があると言っておきながら、実際にはそんなもの何もない、「エアーフローシステム(壁体内換気)」とカタログ書いて図を表記していながら、実際にはそんなシステムなんて建物にない! という会社、工場見学会に行くと、独自に開発した「木口を叩いて音の伝わり方から梁材の強度を調べる検査機」で、おもむろに、お客様の前で「コン」と叩いて見せて、緑のランプがついたり黄色のランプがついたり、赤のランプがついて「ブー」とブザーがなったりというのを見せておきながら、実際に梁桁材を加工して出荷する際にはそんなことしてまへ~ん! という会社でしたので。 鉄骨造の工場の防火材の吹付鉱物繊維が剥落してボトッと落ちて来る、粉塵が舞いまくる工場で、運送屋のトラックは路駐しまくりの工場に、「ISO9001取得工場」とでっかい看板を工場の門の脇にかかげて、つるんつるんの溝がまったくないタイヤのフォークリフトに「ISO9001対象車」と大書きしたシールを貼っていた会社でしたから。
  いずれにせよ、私は慶應義塾大学商学部の卒業生として、大学卒業までに、経済学やマーケティングなどを学んできた者であり、商学部卒とはいえ、もともと、商学部に行きたいと思って行ったのではなく、心理学などに関心があって、社会科学系学部なら法学部の方がいいと思っていた人間で、その結果、労務管理論や労働法・労働経済学などと法律科目を多く履修してきた者で、前職として勤めた会社で人事総務部にいたこともあるという者であり、慶應クラスの大学の卒業生をなかなか採用できない会社としては、採用した場合にはそういったものを生かすべきであったはずである・・・が、今、考えてみると、「うちの会社に慶應大学の卒業生が来てくれるのかとびっくりした」と言った営業本部長のA野が何かそれを生かしたかというと、フィリピンパブに連れて行ってくれて、フィリピーナのおねえちゃんに「〇〇くんは慶應大学の出身なんだぞお。すごいだろお。(で、俺はその上役なんだぞお)」と、言っても、何を言われているのか意味がわからない相手に話した・・・・という、そんな使い方しかしなかった。今、考えると、そんなあほくさい情けない泣きたくなるような使い方しかできない人、その程度の人だったのかもしれない。
   慶應大学の商学部の卒業生を採用したいと思ってもなかなか採用できないくらいの会社が採用できた以上は、それを生かすべきであり、5年も10年も一線の営業をさせていたのでは、何をやっていることかわからない。 マーケティングなり商品開発なり、新規出店計画を担当させるか、あるいは、人事総務でもいいだろうし、(株)一条ヨーロッパは嘘っぱちだったらしいが、海外から輸入しているものもあったわけだから、語学力も少なくとも(株)一条工務店の中卒や高卒のおっさんと比べればずっと上であったはずなのだから、海外との取引の担当をさせるとか、そういう使い方があったはずだ。 その為には、全国一の営業成績を上げるとかいうことよりも、複数地域で「ある程度以上」の成績を残す経験を積み、二級建築士の資格の取得は受験資格として大学の建築学科卒か7年以上の実務経験が必要なので、学歴関係なく受験できるインテリアコーディネーターの資格を取得して資格取得の過程で身に着ける知識・能力・技術とを合わせて、そういった仕事を担当させようというのは、大いに理解できることだった。
   だから、私は他の従業員よりも負担を払って「居住地の変わる転勤」もしたし、条件の悪い営業所でも奮闘して営業活動をして歯を食いしばって実績を残した。そして、苦労と努力と工夫を重ねてインテリアコーディネーター試験に合格した。 キッチンスペシャリストも取得しようとしたのは、会社という所において、上役から10のことをやってくれと言われれば、10のことをする人もおれば、7か8くらいしかできない人もおり、12か13のことをやる人もいる。だから、インテリアコーディネーターを取得してくれと言われたのだから、インテリアコーディネーターを取得するという「10のこと」ではなく、「12か13のこと」として、インテリアコーディネーターとキッチンスペシャリストを取得しようと考え、少々、時間はかかったが、その2つの試験に合格し登録した。 会社が、上役が取ってくれと言った資格を取得したのだから、当然、その資格を取得した人間にさせる仕事をさせようということになるはずだ・・・・と私は思ったし、普通は思うと思う・・・・が、私にインテリアコーディネーターの資格を取ってくれと言った営業本部長のA野T夫に合格しましたと言うと、彼はどう言ったかというと・・・→「おめでとう。さ~すがやなあ~あ」と。それだけ。何、それ??? 馬鹿にしてんのか!?!
   そして、その後、栃木県佐野市の営業所に転勤で移った後、2001年、栃木県南部の営業所長(職名は「副所長)になった私と同年代のK下が私に言った文句は、「あんたはインテリアコーディネーターでも簡単に通る。ぼくらはどんなにしても通らないのに、あんたは通るというのはずるい!」・・彼はそう言ったのだ。 私は、インテリアコーディネーターにしてもキッチンスペシャリストにしても、裏口で通ったのではない。又、会社によっては、従業員に取得させたいという資格があった時、仕事をしなくてもいいからその資格試験の勉強させすれば一定期間給料を払うといったこをとする会社もあるようだが、私はそんなことをさせてもらって合格したのではない。 片方で、営業として過酷な勤務をこなし、実績を残しながら学習し、努力して苦労して工夫して、やっと通ったのだ。 「ぼくらはどうやったって通らないのに、あんたは簡単に通るじゃないか」という発言は失礼である。 そもそも、「ぼくらはどうやったって通らない」て、あんた、何やったんだ? 何もやってないじゃないか! 勝手なこと言うな!
   さらに、2001年のこと。総務部長の天野雅弘から「だいたい、おまえが慶應でてるというのが、それがなにより気に食わんのじゃ。それが何より腹立つんじゃ。こう考えるのが常識じゃ」と。彼はそう言ったのだ。そして、「俺は正直に何でも言う方だからこういったことも口に出して言うが、口に出さない人間だって、みんな、そう思ってるんだからな。常識で考えろ」と。 常識で考えるならば、慶應クラスの大学の出身者をなかなか採用できないというくらいの会社が採用したならば、それを生かそうと考えるのが「常識」ではないのか。 会社の上役からインテリアコーディネーターをとってくれと言われれば、努力して精進して取得することができる人間というのは、会社としてその能力と姿勢を生かそうとするのが「常識」と違うのか。「腹が立つ」というのが「常識」か? 上役がインテリアコーディネーターをとってくれと言ってもとれない人間、合格しようという努力すらしないくせに努力して苦労して取得した人間に向かって「不公平だ」だの何だの言う人間の方には「腹が立つ」ことはないのか。
   総務部長のA野M弘から「人事総務なんて、そんなもの、一族でもない者にさせるわけないだろうが。何、考えてんだ、おまえはあ」と、そう言われたのだ。もしも、浜松地方の工務店であるならば、「総務の責任者はO社長の義理の弟である営業本部長のA野T夫さんの嫁さん、経理の責任者はO社長のやはり義理の弟である企画室のS木室長の嫁さん」というのでもやっていけるかもしれないが、全国企業としてやっていこうということになれば、それでは無理なはずだ。旧帝大系国立大学か早慶くらいの社会科学系学部出身の人間を1人は人事総務や経理に配置して仕事をさせるようにしないと、「一族」の高卒か中卒、もしくは、高卒か中卒とかわらない「大卒」の人間にさせるというのでは、それでは全国企業としてやっていけないでしょう。「何、考えてんだ、おまえはあ」という文句は総務部長になっていたA野M弘の方が言われなければならない文句であろう。

   その後、(株)一条工務店をやめたが、同社に在籍中にインテリアコーディネーターとキッチンスペシャリストを取得した。 2級建築施工管理技士も同社在籍中に取得した。 在籍中に取得した資格はいくつかあるわけだが、結局、「中程度の難易度の資格」を複数取得したが、やめてみると、中程度の難易度の資格をいくつも取得するよりも、弁護士とか公認会計士とか税理士といった「相当難関と言われる資格」だが、取得すれば「特に高収入かどうかはさておき食べていける可能性が高い」と考えられる資格を1つ取得した方がよかったのではないかと思われた。
   特に、インテリアコーディネーターは取得はけっこう大変であるにもかかわらず、一級建築士・二級建築士に比べて評価が低い。又、女性の場合はインテリアコーディネーターの資格を取得すると「インテリアコーディネーター」という職種名での仕事で採用してもらえる可能性が開けるが、男性が「インテリアコーディネーター」という職種名で募集しているものに応募しても採用される可能性は極めて低い。 「キッチンスペシャリスト」は合格は相当難関であり、知っている人は知っているのだが、一般の人の間での認知度が低く、「なめられている」ところがある。
   次回、そのあたりの経験について述べてみたいと思う。

   (株)一条工務店は、1.慶應義塾大学商学部卒の人間としての経済学・マーケティングなどについての知識・認識・発想。 2.複数地域で、決して条件が良い方ではない営業所で奮闘して営業の実績を残してきた人間の能力。 3.インテリアコーディネーターその他の資格取得の過程で身に着けた知識・技術、 4.同社の古くからいる高卒や中卒の従業員などよりははるかに上の語学力、5.なにより、上役が「取ってくれ」と言ったなら、なんとしても取得しようとして、きっちりと取得してみせる精神態度、片方で相当過酷な仕事をこなしながらでも資格試験に合格してみせる精神面の強さ、 といったものを持った従業員は、もっと大事にして活用するべきだったのではないかと思うが、フィリピンパブに行って、フィリピーナのおねえちゃんに「〇〇くんは慶應でてんだぞお。ずごいだろお。(俺はその上役なんだぞお)」と言うなどというあほくさい利用法しかできないというのは、愚かというしかない・・・・が、その愚かなヤツの会社に滅私奉公して人生を無駄にしてしまった男はもっと愚かなのかもしれない・・・。

   (株)一条工務店では、今、宮地某さんという慶應大学卒の人が社長になっていますが、この人は、最初から(株)一条工務店に入社して同社で努力して実績を残した人ではありません。私が11年余り在籍した時にはいなかった人です。 1996年8月まで社長になっていた大澄賢二郎は、『水滸伝』が好きだということで「梁山泊の精神」といったことを言っていたのですが、1996年8月に、息子が「刃物で女性を刺し殺し、官憲に追われ逃げる」というまさに『水滸伝』の登場人物 宋江(そうこう)みたいな行為、まさに「梁山泊の精神」を実行し、週刊誌やスポーツ新聞などで報道された際に、名目上、社長を辞任し、代わりに社長室長であった大澄の子供の頃からの友人だという山本庄一が影武者としての社長に就任しましたが、高齢になったので、代わりの影武者としてどこやらの会社から連れてこられたのが宮地某さんのようです。 初代社長の大澄賢二郎は、最初から、社長のくせに「専務」と称したりしていました。『水滸伝』で、梁山泊で実質上、首領として動いていた宋江(そうこう)が、初期においては、晁蓋(ちょうがい)を首領としながら実権を握って動かし、晁蓋が敵の矢に射られて他界した後は、副首領であった宋江が首領につくのが妥当と思われたにもかかわらず、蘆俊義(ろしゅんぎ)なる男を無理矢理つれてきて首領につかせて、自分は「副首領」として陰から操ろうとしたという話があるごとく、初期においては社長のくせに「専務」などと言い、息子が女性を刺し殺したのを機会に社長を退いて「竹馬の友」の山本を社長にして影であやつり、山本が高齢になると、宮地某をどこやらから連れてきて、(株)一条工務店の仕事などそれまでやっていないのに社長に名目上つかせて操るという、まさに「梁山泊の精神」を実行してきたのですが、実質、社長ならはっきりと社長になった方がすっきりするし、息子が人を殺したということで名目上社長を退くにしても、実質上退くのでないなら、会長か相談役か何かになっておけば良さそうなものですが、名目上、晁蓋(ちょうがい)や蘆俊義(ろしゅんぎ)を影武者の社長につかせる、というあたりが「梁山泊の精神」なのか、おのれの懐を肥やす為ならどんなことでも「やらまいか精神」なのか・・・・・。
    (2016.11.27.)

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腹立海苔(偽名)
性別:
非公開

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