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社会科学系学部卒・男性のインテリアコーディネーター

主として、「インテリアコーディネーター」と住宅・建築・インテリア・不動産に関係する資格と資格試験に関係する内容

高卒の総務部長は「何の努力もしないのに」通ったと本当に思っていたのかもしれない。

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高卒の総務部長は「何の努力もしないのに」通ったと本当に思っていたのかもしれない。

[第20回]
   その仕事をする上での資格を持っているということは、その分だけ仕事をするのに有利になりそうな感じがしますが、常にそうとも言えません。1980年代後半、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→(株)ヤマダエスバイエルホームhttp://www.sxl.co.jp/ 〕に入社した年、小堀住研(株)のグループ会社で、小堀住宅流通(株)という不動産業の会社があったのですが、その小堀住宅流通(株)の千葉支店は所長ともう2名、男性が計3名在籍したのですが、その1人のSさんに名刺を見せてもらうと氏名の下に「宅地建物取引主任者」と書いてあり、宅地建物取引主任者は「不動産屋の資格」ですから不動産業の会社に勤務する人が持っていていいわけですが、名刺の氏名の下に資格名が書いてあるのはプラスの評価を受けるようだとその時は思いました。松戸営業所(展示場)の営業課長になっていた石井さんの名詞には、氏名の下に「一級建築士」と書いてあり、それも、プラスの評価を受けるだろう・・とその時は思いました。その時は。
   しかし、その後、住宅建築業の会社に何年も勤めていると、そういう資格名を名刺の氏名の下に記載している人というのがいいのかどうか、どうも、よくわからなくなりました。2010年、千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業。2013年に正式に倒産〕で仕事をしていたN村設計事務所のおっさんの名刺には、「建築家がつくる家」という三井ホームの「建築家とインテリアコーディネーターがつくる家」というコピーのパクリが書かれていて、その下に氏名が書かれて氏名の下に「一級建築士」と書いてあった・・が、このおっさん、「建築家」とか「一級建築士」とか矢鱈と言いたがる人間なんだなあ・・とかえって印象は悪かった。そもそも、あまりにも「建築家」とか「いっきゅうけんちくしい~い」とか言いたがる人間て、あんまり・・て人が一般に多い。

  さらに、1990年、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→(株)ヤマダエスバイエルホーム 〕の東京都目黒区の東京支店自由が丘営業所(展示場)に在籍した近藤寿一(男。当時、20代前半。近畿大学経済学部卒〉は「ぼく、宅建主任の資格もってますから」とお客様宅に行って叫んでいましたが、しかし、展示場の事務所では、本人は「ぼくは大学だって経済学部しか出てませんし、売りになるものがありませんから、だから、宅建主任もってるということにしてるんです」と言うのです。そういうのはどうかなあと思いました。
  だいたい、「経済学部しか」とは、その言い草は何だ! 小堀住研(株)は相当昔から「大卒しかとらない会社」と言い、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」で「普通自動車第1種免許」を持っている人か、「4年制大学の建築学科か土木学科卒の人」で「普通自動車第1種免許」を持っている人を採用していた、営業は主として《「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」で「普通自動車第1種免許」を持っている人》の仕事だったのです。新卒社員の全体の研修でも講師役の人が「小堀住研は昔から『大卒しか採らない会社』でした」と言い、営業系社員の合宿研修でも、講師役の課長が「ミサワあたりの営業は高卒の営業が多いのですが、小堀住研の営業は大卒の営業で、ミサワと小堀とでは営業という職種の社会的位置づけが違います」と話していたのです。但し、最近は「大学」と名のつく学校が多くなりましたので、「大卒しかとらない会社」というものを意味のあるものにしようとすると、「国立大学か私立は東京圏では早慶かJARKくらいまで、関西では関関同立くらいまで」ということにしないと「大卒しかとらない会社」という意味があまりなくなります。だから、近藤の場合、「近畿大学卒」の方は「大卒しかとらない会社」という規定からいくと「少々、おまけ」の入社だったのですが、「経済学部卒」の方は、小堀住研(株)では、もともと、営業は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」でやっていこうという方針できていますからそれでいいのであって「経済学部しか」などと言うべきではないのです。
建築学科卒の人間で、「建築学科卒は法学部・経済学部・商学部卒よりもエライ」みたいに思っているヤカラ・主張するヤカラが中にいたようですが、 法学部・経済学部・商学部卒の人間としては、そういう主張をするヤツを認めてはいけないのです。
  
私自身も住宅建築業の会社に長く勤めて思ったのですが、どうも、建築学科卒の人間というのは、人にもよるけれども、《自分を「設計士(さま)」にしたがる症候群》みたいな人間が多く、又、社会科学系学部卒の人間なら、お客様に分かりやすいように「ぺったんこの屋根」と言うところをもったいつけていちいち「陸屋根(ろくやね)」と言いたがる、社会科学系学部卒の人間なら日常用語で話すものを、いちいち建築の教科書に載っている用語で話したがるという人が多く、人にもよるけれども、それが何年経っても抜けないという人が少なくない。「しろうと感覚」と言っても実際はけっこう経験があってけっこう知っているのですが、それでも「しろうと」の位置から話をするということが社会科学系学部卒の人間にはできても、建築学科卒の人間には、私立五流大学の建築学科卒をなんでそんなもん自慢するのかと思うのだが自慢にして「学校でてますから」という態度をとって、そのわりに何も知らない・・なんて人間が少なくない・・というのを見てきました。(人にもよりますよ。)だから、営業の場合は、建築学科卒の人でも営業のできる人は中にはあるでしょうけれども、やっぱり、戸建住宅建築業の営業は社会科学系学部卒の仕事であって、営業の仕事をするにおいては、建築学科卒は社会科学系学部卒より上だなどということはないと私は認識しています。
  「宅建主任(宅地建物取引主任者→宅地建物取引士)についてですが、たとえば、試験には通ったけれども登録していないとか、登録したけれども主任者証の更新をしなかったとかいう人なら、試験には通っているのですから、宅地建物取引主任者→宅地建物取引士の資格試験では「『宅地建物取引主任者とは、宅地建物取引主任者の試験に合格した者を言う』・・これは『正』か『誤』か」なんて問題が出るわけで、正解は「誤」で、宅地建物取引主任者→宅地建物取引士 とは、試験に合格しただけでは、あくまでも「試験合格者」であり、(1)試験に合格して、(2)(過去10年間に2年以上の実務経験があるか、「実務経験にかわる講習」を受講するか、いずれかで)都道府県知事に登録をして、(3)主任者証
→宅地建物取引士証 の交付をうける、とこの3つの条件を満たした人が「宅地建物取引主任者→宅地建物取引士」であって、試験に合格しただけでは「試験合格者」であって「宅地建物取引主任者→宅地建物取引士」ではない、だから、「誤」となります。
  試験に合格したけれども、まだ、登録していない、主任者証→宅地建物取引士証 の交付はまだ受けていない、という人が、近日中に交付を受ける予定にしているという場合、「宅建主任もってます」と言ったとすると、宅地建物取引業ならば、宅地建物取引主任者→宅地建物取引士 の資格を持っていることにならない者が持っていると言ってはいけませんし、「試験合格者」であっても登録していない者、「試験合格者」で「登録」した者でも「主任者証」「宅地建物取引士証」の交付を受けていない者は宅地建物取引主任者→宅地建物取引士の「試験合格者」「登録者」ではあっても「宅地建物取引主任者」→「宅地建物取引士」ではない、ということになっていますので、重要事項説明は、宅地建物取引主任者→宅地建物取引士 が「主任者証」→「宅地建物取引士証」を提示した上で宅地建物取引主任者→宅地建物取引士がおこなわないと、重要事項説明をおこなったことになりませんが、宅地建物取引業の会社がグループ会社にある建築業の会社に在籍して建築業の会社の従業員として言う限りは、それでもいいわけではないとしても、試験に合格するまでに学んだものはあるわけですから、「持ってます」と言ってしまっても問題は発生しにくいかもしれませんが、試験に合格したわけでもないのに、「ぼく、宅建主任もってますから」などと言いまくって、相手が本気にして、土地建物の売買についての意見を求められて、変な結果になった時にどうなるのかと考えると、あんまりそういうことはしない方がいいと思います。というよりも、もし「宅建主任をもってます」と言いたいのなら、宅建主任→宅地建物取引士 なんて、旧型司法試験とか公認会計士試験ほど難しい試験でもないのですから、詐称するのではなく実際に取得して言えばいいと思うのですが、なんだか、詐称する工夫に頭を働かす能力はあっても、たいして難易度が高いわけでもない試験に合格するために頭を働かすことには拒否反応を示す人というのが、います。(1991年だったと記憶しているのですが、テレビで、ワシントン条約で輸出入が禁止されている熱帯魚を密輸した業者がつかまったというニュースがあり、その際、筑紫哲也が「密輸するために、これだけのものすごい技術を開発するのなら、その能力でその魚を養殖する技術を開発したらどうかと思いますが」と言い、私もそう思ったのだが、会社というところにも、それに似たようなことをする人がけっこういる。)
  宅地建物取引業の会社で、宅地建物取引主任者→宅地建物取引士 の資格を持たない者が「もってます」と詐称しまくったなら、宅地建物取引業法違反で処罰される可能性がありますが、建築業の会社で言いまくる限り、「単なる嘘つき」でしかない・・と近藤は思ったでしょうけれども、国家資格の詐称軽犯罪法第1条違反に該当するはずです。実際には、違反と言っても、世の中には詐称する人というのはけっこういるし、軽犯罪法違反というのは、たとえ、処罰されたとしても「科料」ですが、それでも、東京支店業務課の課長の江間(男。当時、30代。法政大学法学部卒)は、支店における人事・総務・経理に該当する業務課の課長として、「国家資格の詐称はやめてください」と言うべきですが、それを言えない男が江間でした。江間は「法学部卒」と称していたのですが、こんな法学部卒に法学部卒の値打ちがあるか?・・というと、ないと思うのですよね。江間は実際に法学部卒であってそれは詐称ではないらしいのですが、「詐称とたいして変わらん法学部卒」「詐称とたいして変わらん法学士」でした。(私が高校を卒業する年、東大を落ちた後、父から「高校は義務教育じゃないんだから、高校は行くべきじゃないんじゃ。それを、おまえみたいなもんが高校に行ったのは余計じゃ。おまえは高校に行くことないんじゃ、チャンコロ。チャンコロは高校行くな、チャンコロ」と毎日毎日言われたものだったが、その基準から行くと、江間なんぞは、義務教育であろうがなかろうが、中学校行ったのは余計であって、江間なんぞ、中学校行くべきではないはずである。ましてや、何をいったい思い上がってか、「法政大学法学部」みたいなもん、行くべきではないはずなのに、江間はどあつかましくも、法政大法学部みたいなもんに行って卒業したのだが、よっぽど甘ったれていたということであろう。)
   近藤は1990年の時点で入社2年目でしたが、入社1年目に配属された営業課の課長が「おまえは大学も近大しか出ていないし、学部だって経済学部しか出ていないから、だから、取り柄がないから、宅建主任を持っていることにしろと命じて」(「経済学部しか」とはなんだ、「しか」とは!)、それに従って、その「指示」に忠実に、宅地建物取引主任者(→宅地建物取引士)の資格なんて取得していないにもかかわらず、「ぼく、宅建もってますから」と叫びまくってきたらしい。いわば、日大アメリカンフットボール部の監督だかコーチだかが「相手のクオーターバックをつぶせ。関学の選手が怪我をして試合に出れなくなれば、次、対戦する時にこちらが有利になる」と指示したみたいなものです。私なら、そんなこと言われても、「国家資格を詐称するなんて、そんなことはやめた方がいいのと違いますか。むしろ、宅建主任は会社が営業系社員には取得を奨励しているのですから、持っていると詐称するのではなく、実際に取ればいいのと違うのですか」と言いますが、近藤はそうではなく、「上長の命令は絶対」と考えて実行した、軽犯罪法違反を実行した、ということのようです。もっとも、私ならそんな指示は断りますが、そうすると、小堀住研(株)は「『上長に対する反抗』という就業規則の規定に該当する」と言って懲戒処分を下すかもしれません。法的には、たとえ、「上長の命令」であっても、日本国の法令に違反する命令、公序良俗(民法第90条)に反する命令は「ただちに無効」ですが、小堀住研(株)みたいな会社は、有無を言わさず、懲戒解雇とかするかもしれません。そうなると、裁判で争うしかないことになり、日本の裁判所というのはこれは刑事事件においては警察・検察の下請け、労働問題においては不良企業の不良経営者のテカ(手下)ですから、ないものでもあることになるし、あるものでもないことになります。となると、「相手のQBをつぶせ」とか言われると、逆らえないてことになる?・・かもしれませんが、近藤はそこまで考えずに「ぼく、宅建主任 持ってますから」と叫びまくっていたようです。近藤はそこまで考えてやっていないと思いますね。(そのあたりの「軽さ」がお客様からマイナスの評価を受けることもあったようです。) 警察は、不動産屋が電柱にポスターを括りつけると、なんだか、よっぽどの重大事件の犯人つかまえるみたいに必死こいて取締りますが、小堀住研(株)の東京支店自由が丘営業課(1990年前半)の近藤と近藤にそうしろと指示したという営業課長もまた軽犯罪法違反で取り締まるべきではないのか。日大のアメリカンフットボール部の選手は、片方で加害者でも他方においては被害者の面もあったと思いますし、大学の体育会とかスポーツ専門校の高校の運動部の人間というのは昔から暴力体質でそれに逆らうとおれなくなるといったことが言われるわけで、かつ、進学校の高校や国立大学の運動部の場合は退部してもその運動部を退部しただけであって学校は続けられますがスポーツ入学した人の場合はその運動部を退部すると学校もやめなければならないと聞きますし、自分がその立場になるとなかなか難しい面もあるのかもしれませんが・・、とりあえず、宅地建物取引主任者→宅地建物取引士 なんて取得していないのに「ぼく、宅建主任もってますから」と叫びまくるというのは、はたで見ていてもいい感じがしませんから、私は、そういうことはやめた方がいいと思いますが・・。

    実際のところ、戸建住宅建築業の会社に勤務している人間が、名刺の氏名の下に記載する資格名称で、最も意味のないのは「一級建築士」と違うのか・・? と私は今は思う。なぜなら、戸建住宅の建築においては、一級建築士の試験に出題される内容と二級建築士の試験に出題される内容なら、むしろ、二級建築士の試験に出題される内容の方が、戸建住宅建築業には関係が深いくらいで、木構造の場合ですと、木造建築士の試験に出題される内容の方が関係あるものが多いくらいですし、戸建住宅の計画を立てていく上で、お客様とコンサルティングをしていく上での知識ということなら、インテリアコーディネーターの方が関係が深いくらいで、ビル建築とかの工事を扱うなら一級建築士は持っていた方がいいと思いますが、戸建住宅においてはあんまり関係ない資格ないのですよね。ところが、「いっきゅうけんちくしい~い」と言えば「ひとは言うことをきく」という信仰を持っている人というのがいるのです。ですから、片方で氏名の下に「いっきゅうけんちくしい~い」と記載して、それだけでなく、氏名の左上に「建築家のつくる家」なんて三井ホームのパクリを書かれたあかつきには・・、おっさん、アホか! て感じがしてきます。しかも、なんだか、ちと変わった帽子かぶって、暴走族みたいな羽根つきの真っ赤なスポーツカーに乗って・・なんてのを見せられると、このおっさんもまた、「『建築家』ぶりっ子したがる症候群」の「患者」なのか? なんて思ってしまいますね。「ヒゲははやさないのですか?」て質問したくなってきますね・・・。だいたい、「建築家ぶりっ子」とラーメン屋て、なんで、ヒゲはやしたがるのでしょうね?

   最初はきづかなかったのですが、「いっきゅうけんちくしい~い」と矢鱈と言いたがる人というのは「大学卒」の人より「建築の専門学校卒」という人に多いように思えます。愛知産業大学の建築学科でも「建築士の資格を取って悪いということはないけれども、資格よりも、いい内容の建築ができるかどうかの方が大事」「大学の建築学科は建築士の資格試験のためにあるのではない」と言われたのに対し、「建築の専門学校」の方が建築士の資格を取った者がエライ・・という思想を持っている人、「いっきゅうけんちくしい~い」信仰に精神汚染された人が多い。
  最初に出した話の小堀住研(株)の松戸展示場にいた石井さんにしても、「一級建築士」と言いたがる傾向があり、「一級建築士」と言えばひとは評価するものだという世界観を持っていて、「一級建築士」をいくつもある建築・不動産関係の資格の中で別格のものと主張したがる傾向がありましたが、それは「建築の専門学校卒」の人の特徴だったかと思えます。

   2000年代なかば、(株)一条工務店のある展示場をのぞいてみたことがありますが、その際、営業のおっさんがくれた名刺には氏名の下に「地盤調査員」なんて書いてあった(笑)・・ 「地盤調査員」だって・・。
  「資格」には「国家資格」と「民間資格」と「社内資格」があります。インテリアコーディネーターはもともとは三井ホームの社内資格だったらしいが、それが国家資格になり「行政改革」の時に民間資格になった。それぞれの会社で役職・職能級位と別に、社内で試験をして、それに合格した人間に「社内資格」を持たせる会社があるらしい。(株)一条工務店では、1990年代の終わり頃から、地盤調査を業者に依頼するのではなく、営業社員にさせるようにしたのですが、地盤調査課の従業員が講師になって地盤と地盤調査についての講習を3時間くらいかけて実施し、受講がすんだ者には「地盤調査員」と書いたカードを渡していたのです。3時間ほどの講習を勤務時間内に受ければ、その講習の場におれば筆記試験も何もなく誰でももらえたものです。だから、営業社員は誰でも「地盤調査員」だったのです。持たない人間がやっても罰則も何もありません。転職する時に履歴書に「地盤調査員」なんて書いても、「何、これ?」と言われます。その展示場のおっさんは、氏名の下に何か資格名を書きたかったのでしょう・・けれども、あんた、そんなもの書いていったいどうすんの? て感じがしましたね。なんだかなあ・・( 一一)  (株)一条工務店は「中卒高卒は常にエライ」というのが社是の会社でしたが、そういうものを社是にすると、↑ みたいなことをするおっさんが増えます。
    
  私は(株)一条工務店に11年余勤めて約10年営業の仕事をやりましたが、営業として仕事をしていた時の名刺には、氏名の下に、
「  インテリアコーディネーター
   2級建築施工管理技士
   宅地建物取引主任者     」
と記載されていました。 詐称じゃないですからね、私は。そして、私は、「舌先三寸」みたいな営業をしてきたのではない、私はきっちりと住宅・建築・インテリア・不動産などについて学習してきた者としてこの仕事をしているのだ、という矜持のもとに記載していたのですからね。もっとも、3つも資格名を記載したとしても、だから、何でも知ってるかというと、そうはいかないわけで、住宅建築の仕事は幅も広ければ奥行きも深く、資格の1つや2つや3つ、持ったからといって、「何でも知ってる」なんて状態になんてなるわけないのです・・・が、それでも、ともかく、きっちりと学習してきっちりとしたことを話して契約してもらい、きっちりとした仕事をさせてもらおうという姿勢でやっていますという意思表示のつもりでおりました。だから、私が名刺の氏名の下に↑のように記載していたのは、これは矜持をもって記載していたのであり、「いっきゅうけんちくしい~い」と言えば「ひとは言うことをきく」とか考えているアホとか、「ぼく、宅建もってますから」とか持ってないのに言うヤツ(小堀住研(株) 東京支店自由が丘営業課 近藤。近畿大経済学部卒。)とか、「私、早稲田の建築でてますから」とか、おまえ、早稲田でてるような顔してないだろうが! て顔して言う男(小堀住研(株) 千葉支店柏営業課→松戸支店松戸営業課 犀川。日大芸術学部卒。当時)とかとは違います。あんなのとは違います。

   (株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ という会社は「浜松中心主義の会社」であるとともに、「中卒高卒優先主義の会社」だったのですが、その中卒・高卒の所長とかなんとか長とかいう人達というのは、「『今の世の中というのは、ひとを肩書で見る世の中だ』とかなんとか、しょーもないことを言いたがる症候群」の「患者」だらけでした。自分が高く評価してもらえないのは、学歴がないからなんだ、と言いたいらしいのです。違うんですけどね、実際は。
  私が在籍した11年余りの途中から、資格をとれとずいぶんと言うようになりましたが、
その人にとって必要な資格なのか、会社にとって必要な資格なのか、といった視点からよく考えてそういうことは言うべきで、そうでないのなら、必要もない資格を取得するために時間と労力を費やすというのは、それは「人生の無駄遣い」でしかない、その人に「人生の無駄遣い」をさせた・・ということになってしまいます。

  
私自身も、いくつかの資格を取得しましたが、それを取る必要があったのか、取ってマイナスにはならないとしてもプラスになる度合が十分に大きかったのか。「コストと利益を比較衡量して」考えて、はたしてコストを十分に上回る利益があったと言えるのか、というと、けっこう疑問に思えるところもあるのです。
  又、「どちらでもできる」と「両方できる」は同じではないのです。1985年の高校野球の優勝投手でPL学園から巨人に入団した桑田選手は、PL学園時代バッティングも優れた選手で、高校野球の全国大会での通算ホームラン数も清原を別にすれば上位に入っていたはずで、プロに入団した時、投手として歩むべきか、野手として歩んだ方がいいのか、相当迷うところではないかと思ったのですが、投手としての道に進み、実績を残しました。もし、野手として進んでいたらどうなったかはわからないけれども、ともかく、投手を選んだわけです。それに対して、花巻東高校から日本ハムにはいり米国メジャーリーグに移籍した大谷選手は、投手と野手の「二刀流」てのを続けていますが、やっぱり、「どちらでもできる」と「両方できる」は一緒ではないのではないのか、という気がします。


   資格の取得においても、「どちらでも取れる」と「両方取れる」は同じではない。昔、書店の棚で『資格三冠王』という題名の本を見た記憶があるのですが、旧型司法試験と公認会計士試験、もう1つは一級建築士でしたでしょうか、難関と言われる資格3つとも合格したという人が、学習法についての本を書いていたのですが、3つ通ってエライかというと、私は別にエライとは思わないのです。むしろ、その人、結局、何やりたいの? て感じがします。菊川怜て女が「東大出の女」というへんてこりんな職業を続けていますが、あれも、別にエライと思わないのです。あれは「女優」でもなし「グラビアタレント」でもなし「アナウンサー」でもなし、何なんだ? て職業ですが、東大工学部建築学科卒なんて言っても、あの仕事やるのに建築の勉強は要らんでしょうが。もっとも、「東大出の」でなければあの「東大出の女」というへんてこりんな職業にはつけないでしょうけれども、「東大出のAV女優」みたいなもので《「東大出の」がなければ売れない女》なのかもしれない。ともかく、弁護士をやりたかったのなら、別に公認会計士の資格を取る必要はないでしょう。建築関係の訴訟というのはありますから、「建築に詳しい」弁護士というのは役に立つでしょうけれども、その意味で「一級建築士でもある弁護士」というのは悪くはないかもしれないけれども、3つ取って、どうすんの? て感じがします。「一級建築士か二級建築士とインテリアコーディネーター」という2つは2つ取る意味はあると思いますが、弁護士と公認会計士と一級建築士の3つを取る必要はないと思うのです。「結果として3つ取ってしまった」というなら、それはその人の人生だったのでしょうけれども、自慢することと違うと思うのです。
   私は、宅地建物取引主任者→宅地建物取引士 の資格は、小堀住研(株)に入社する際に、面接で「宅地建物取引主任者の資格を取るといい」と言われ、新卒社員研修の時にも、講師役できた人が「技術系の人は建築士の資格をとってもらいたい。営業系の人は宅地建物取引主任者の資格をとってもらいたい」と発言されたので、それで、宅地建物取引主任者→宅地建物取引士 の資格をとりました。インテリアコーディネーターの資格は、(株)一条工務店で入社2年目に入った頃、営業本部長から、インテリアコーディネーターの資格を取ってもらいたいと言われて、上役が取ってくれという資格なら取らないわけにいかないと思って取得しました。キッチンスペシャリストは、世の中には上役から10のことをやってくれと言われた時に、10のことをする人もあれば、12か13のことをやる人もあり、6か7くらいしかできない人もあるので、私は12か13として、インテリアコーディネーターを取ってくれと言われたのであるから、インテリアコーディネーターとキッチンスペシャリストを取ろうと考えて取得しました。キッチンスペシャリストを取ろうと思った理由としては、(株)一条工務店の浜松の営業所に営業としていたF橋といういいかげんな男がキッチンスペシャリストの資格を持っているという話を聞いたので、古橋なんてあんなヤツが合格する試験なら俺が落ちるわけがない・・・と思って受けたら、自分が受けてみるとけっこう大変な試験だった、あんなヤツ、本当にキッチンスペシャリストなんて通ったのかあ??? なんて思うようになったが、「F橋がキッチンスペシャリストの資格をもっている」の話の真偽はよくわからないが、もしかすると、こういった資格というのは、その資格ができてすぐの時期というのは取りやすい場合が多いのでそういう時期に取ったのかもしれないが、ともかく、私は困ったことに途中までやって落とされた試験をリベンジせずにおいておくことはできない性分なので、合格まで根性で持って行くことになってしまったというものでした。

   (株)一条工務店を辞めた後、就職しようとすると、どうも、インテリアコーディネーターというのは、男性が持っていても評価が低い資格で、キッチンスペシャリストになると、けっこう取得は難しい資格であるものの、認知度が低くて、知っている人が少ない。2級建築施工管理技士は、1級建築施工管理技士や二級建築士に比べて評価が低い。
職安の求人票を見ても、「資格 一級建築士・二級建築士、1級建築施工管理技士」と書いてあって、2級建築施工管理技士は含まれないというケースがある。 宅地建物取引主任者→宅地建物取引士 は、不動産屋は従業員5人に1人以上、事業所に配置しないといけないと法律で決まっているので、不動産屋はしかたなしに雇うが、株)エイブル https://www.able.co.jp/ は宅地建物取引主任者→宅地建物取引士 という資格を「お茶くみおばさん 兼 子守女 兼 事務員さん」の資格と思っている。(株)エイブルの店長になっている人間(当然、宅地建物取引主任者→宅地建物取引士 の資格なんて持っていない)は「宅建主任の資格もってると、事務員さんできますからねえ」などと発言する。さらに「宅建主任なんて、自分がとらなくても、持ってる人間を雇えばいいことで、違反やって宅建主任の資格を剥奪されるとかあったら、その時はまた、別の宅建主任を雇えばいいことですから」と公言する。そんな資格なんて、取らない方がいいのじゃないか・・・と思うと、2008年、東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市〕http://www.10kai.co.jp/ で花見川店の店長になった「人相と眼つきの悪いヤクザ顔の田中」(男。当時、60歳)は「俺は若いやつには、誰にでも、宅建主任なんてあんなもの取るな、とみんなに言ってやるんだ」と公言(おっさんが通らんからそういうことを言う、という面もあるだろうけれども)。なんだか、取得するまでの労力はけっこうかかるものの、取得すると値打ちのない資格ばっかり、いくつも取ってしまったみたいな感じ・・。

   インテリアコーディネーターは1次(学科)と2次(製図・論文)の試験があり、キッチンスペシャリストは学科試験と製図試験がある。その後、合格した建築CAD検定の3級と2級もそれなりの努力と精進の末、合格できたというものだ。CADの能力認定資格については、持っていないと「CADができないのでは・・」と言われるが、建築CAD検定2級を持っていたとしても、だから採用してもらえるというものでもない。
   1980年頃、私が大学生であった頃、難関と言われた資格としては、司法試験・公認会計士試験というものがあった。医師国家試験てのは、国立大学の医学部に入るのは難関だが、医師国家試験は私立金権五流裏口大学の人間でも通るらしいから、たいして難しくもないのだろうけれども、医学部を卒業しないと受験資格がないから、「大学は4年で卒業できる学部にしなさい。うちは6年間も行くような医学部なんか行かす金持ちとは違います。甘ったれなさんな」の家庭だった我が家では、タダの大学である自治医大でも絶対に行かせてもらえなかったから、これは不可能。 司法試験は、何年か前に制度が変って、法科大学院大学に行ってから受験という方がメインのルートになってしまったが、私が大学生であった頃は、4年制大学の教養課程を修了すれば何学部の人間でも、1次免除で2次から受けることができた。試験科目は、憲法・民法・刑法・商法が必須科目で、訴訟法が刑事訴訟法と民事訴訟法の2つから1つを選択、法律選択科目は労働法・行政法・刑事政策・・その他から1科目を選択、一般教養科目として経済学・心理学・・その他から1科目を選択、で計7科目だったのが、その後、制度が変わって、訴訟法は刑事訴訟法・民事訴訟法の2科目必須で、法律選択科目と一般教養選択科目はなくなって6科目になった。 公認会計士は司法試験と同様に、4年制大学の教養課程を修了すれば1次を免除で2次から受けることができて、2次は会計科目として簿記論・財務諸表論・原価計算論・監査論の4科目、それに非会計科目として経済学・経営学・商法の3科目。ともかく、旧型司法試験にしても公認会計士試験にしても、6科目か7科目、けっこうレベルの高い試験に合格しないといけない、というものだった。それだけ難しい試験に通った人間のはずなのに、弁護士て、あいつら、なんであんなにアホなんだ・・? とか思うことがあるが、アホでも食っていけるだけの試験なのかもしれない。彼らは、最低でも食っていける状態だからいけないのであって、競争状態にして仕事内容の悪いやつは食えなくしてやるといいのではないかとも思えたが、他方、試験の難易度を易しくして、合格者を増やして弁護士の数も増やして他の仕事と同じように競争させれば弁護士の内容はよくなるかと思うと、「やっぱり、易しい試験にしか通っていない人はだめ」とかいう説もあるようで、結局、あいつら、役には立たんということか?!? ・・なんて思うが。
   インテリアコーディネーターが1次と2次、キッチンスペシャリストが学科と製図、それに宅地建物取引主任者→宅地建物取引士、これで5科目分。建築CAD検定2級を1科目分と考えて、6科目分。ほかにも、住宅ローンアドバイザーとか、損害保険募集人とか、その他、いくつかの資格を取得しているから、それらも合わせれば、6科目分か7科目分くらい勉強したのではないか・・と考えると、インテリアコーディネーターやキッチンスペシャリストや宅地建物取引主任者→宅地建物取引士や・・といった《「中程度の難易度の試験」だが「取得したからといって食べていけるというものでもない資格の試験」》をいくつも受けて、相当の努力をして合格して取得するよりも、それらを取得するための労力・時間を1つにまとめて、旧型司法試験とか公認会計士試験とかいった「難関だけれども、取得すると、特別に高給かどうかはさておき、食べていける可能性が高い資格」を取得するようにした方が良かったのではないか・・・、もしくは、旧型司法試験や公認会計士試験は一度にすべての科目を合格しないといけないが、税理士の試験は一度にすべて合格しなくても1つずつ合格科目をためていくことができるので税理士の資格試験は一度勤めた人間にはその分だけ受けやすいとが言われますが、税理士の資格を取得するという選択肢もあった・・なんてことを思うのだ。そう考えた時、(株)一条工務店の営業本部長、その資格を取得させた上で、インテリアコーディネーターの資格を持っている人間の持つ能力と慶應大学商学部卒の者がもつ経済学的認識、商業学・マーケティング的発想と実際に複数地域で勤務した営業経験と東大に合格できたとしてもおかしくないレベルまで学習してきた語学力とを合わせて、商品開発や新規出店計画の担当とかをさせるか、外国から輸入するものを扱う担当をさせるか・・といったことをするのでないのなら、その資格を取得した人間としての処遇にするのでないのなら、あくまでも、徹底して飼い殺しにして冷や飯食わせて、塩漬け氷漬けにして、「うちの会社にも慶應大学卒の人間がいるんですよ。しかし、私はそれよりも上役なんですよお」と言うために採用して、「インテリアコーディネーターも持ってるし・・・も持ってるしするんですよお。しかし、私はそういう人間の上役なんですよお」ということにするためだけに、けっこう取得するのに困難な資格を取れと命令する・・というようなことは、やめてもらいたかった。
 
 それだけの資格を取得するために、いったい、どれだけの労力をかけたと思ってるんだ。片方で仕事をこなしながら、それだけの資格を取得するために、いったい、どれだけ大変な思いをしたと思ってるんだ。あまりにもひとをバカにしているではないか・・と思うのだが、総務部長の天野雅弘が「あんたは、インテリアコーディネーターにしても、キッチンスペシャリストにしても宅建主任にしても、まったく何の努力もしていないのに、簡単に通る。俺らは高卒で、どんなにしても、そんなものは通らないのに、おまえは簡単に通る。ずるい。不公平だ。差別だ」などと言うのだが、よくもまあ、そんなことが言えたものだと思う。私は「まったく何の努力もしていないのに」通ったのではないし、「簡単に」なんて通っていないし、むしろ、「俺らはどんなにしても、そんなものは通らないのに」などと言うのなら、何かやってみればいいと思うのだが、やってみてから言ったらどうなんだと思うのだが、何にもしてないじゃないか、何にもしてないから通らないのじゃないか。というよりも、私が合格するまでにやったのと同じレベルの努力はしていないじゃないか・・と思うのだが、営業本部長が取ってくれと言うから、だから、
私は大変な努力と工夫をして合格して取得したのだが、ところが、「俺らは高卒じゃい。そんなものは通らんのじゃあ」と言う総務部長は「何の努力もしていないのに」「簡単に」通ったと決めつけている・・ということは、私がどれだけの努力をしたか、そのためにどれだけの労力を払ったか・・なんてことはちっとも理解していない、ということなのかもしれない。まさか、いくらなんでもそんなことはないだろうと思っていたのだが、もしかすると、本当に、私が「何の努力もしていないにの通った」「簡単に通った」と心から思っていたのかもしれない。アホが総務部長やってる会社で、アホかどうかにかかわらず、上役の言うことだと思って真面目に聞いたのがアホだった、ということなのか。

   私は、大学に進学する時点では、東大・京大クラスの大学をねられるレベルに学習した人間であり、慶應大学卒とはいえ、高校卒業時には法政くらいに合格できるかどうかの成績でしかない者が1浪して慶應の入試科目だけ勉強してやっとこせえで慶應大に入った連中とは違う。だから、大学に入学するまでに、英語の学習だってそれなりにしてきた。江戸時代末期、福沢諭吉は長崎でオランダ語と洋学を学んだが、そのうち、オランダ語ではなくイギリス語が求められるようになってきた時、オランダ語を学んだ者には2種類の反応をする者がいて、1つは、日本語に訳された本はあまりないが、イギリス語で書かれた本でもオランダ語に訳された本は相当出ているので、これからはイギリス語が必要になるとしても、イギリス語で書かれた本を読む必要があればオランダ語に訳された本を読めばいいのだから、オランダ語の学習は無駄にはならないと考えた者で、もう1つは、オランダ語の学習に続いて、さらにイギリス語を学習しようとする者で、福沢諭吉は後者の態度をとったが、やってみると、オランダ語をある程度学習した者にとっては、イギリス語の学習は思ったよりもしやすかった、ということを福澤諭吉『福翁自伝』(岩浪文庫)に書いている。それと同様に、大学入学までに、英語をある程度以上学んできた者は、ヨーロッパ系の言語であれば、もう1か国語を学習しようとした時、最初に英語を学習し始めた時よりもはるかに学習しやすい、という傾向がある。 私の場合は、父が「大学は勉強する所とは違うんじゃ。甘ったれるな、チャンコロ。アルバイトを嫌がる人間は、モラトリアム人間病という病気にかかっておるんじゃ。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらい先生がそうおっしゃってる。アルバイトせんか、アルバイト。甘ったれていおってはならんぞ、チャンコロ。甘ったれておってはならぬぞ、チャンコロ。勉強すんな、チャンコロ。大学は勉強する所とは違うんじゃ、チャンコロ」と言い続けた家庭であったので、「大学生」であった時に、計画的に学習するということができなかったが、それでも、たとえば、(株)一条工務店を退職後、市川市役所が市役所職員の募集に年齢制限をはずした、いくつでも受験できることにしたということで、受けてみたところ、英語の試験などあった1次については、まったく、な~んにも勉強せずに受けたにもかかわらず、ありぁ~あ・・、通っちゃった♪ なんてもので、語学は、大学進学時、東大に上位で合格したような人と比較するとかだと私より優秀な人はいただろうけれども、一般的な慶大生との比較とか、市川市役所の一般的な受験者との比較とかであれば、私はけっこうできた方のはずなので、英語・フランス語・イタリア語・ロシア語・ドイツ語とかいった言語のうち、いずれか1つを決めて集中して学習すれば、これらの言語には検定試験があるし、その検定試験で一番難しいものに合格する、というくらいはできたと思うのだ。で、通訳レベルまで到達したかどうかとなると、そこまではわからないが、それぞれの言語の検定試験で1級を取れるくらいまでいけた可能性は十分あると思う。そうなると、それは仕事にありつくためにも有利になったと思う。インテリアコーディネーターよりも、イタリア語1級の方が有利ではないか? ロシア語というのは、かつては、ソビエト連邦の国ということで、左翼ではないかとか言いたがる右翼がいたのだけれども、ソビエト連邦が崩壊して社会主義をやめるより前から、ソビエト連邦の時代から、実は日本はロシア語圏、ソビエト連邦との貿易額は相当のものであり、住宅建築業の関係でも、沿海州やサハリンから木材を相当輸入していたはずなのだ。慶應大学の語学研究所の先生が説明会で言われた話では、「英語は需要が多いけれども、供給も多い」のに対して、「ロシア語は需要は英語よりは少ないけれども、けっこうある・・けれども、供給が少ない」、だから、ロシア語はねらい目だと。 フランス語というと、私はどうも、「大学のフランス文学科に行く女」というと「嫁入り道具」て印象があって堕落した人間の代表格のような印象を受けるし、「フランス」と言われると丁寧語の「お」をつけなければならないような感じがしてしまうのだが、「フランス」に丁寧語の「お」をつけるのは日本人だけで、フランス人は丁寧語の「お」なんてつけない・・が、それでも、なんだか、「おフランス」て印象があって、私らのような「わしあ、日陰の月見草。わしぁ、貧乏やからなあ」という人間にとっては、「ヴォルガの舟唄」の国 ロシアの方が、「おフランス」よりもなんだか肌が合いそうな気がする。〔《YouTube- Эй, ухнем!(えい、ウーニェム)Шаляпин Фёдор Иванович(フョードル=イヴァノビチ=シャリアピン).wmv   》https://www.youtube.com/watch?v=lBLlJb9tOJY&spfreload=10 〕ドイツというと、ヒットラーの国というイメージがある。もしくは、人種差別主義者リヒャルト=ワグナーの国という印象がある。実際はそうではないのかもしれないが、しかし、私は父から「わしはドイツ人やねんぞ、わしはあ。わしはドイツ人でヒットラー総統のような英雄やねんぞ、チャンコロ。民族の違いを忘れてはならぬぞ、チャンコロ。このチャンコロ。チャンコロはチャンコロらしくしろよ、チャンコロ」と毎日言われてきたので、やっぱり、ヒットラーの国にはいい印象がない・・が、ともかくも、英語・フランス語・イタリア語・ロシア語・ドイツ語のいずれかであれば、「需要がある」と思うのだ。少なくとも、女性がインテリアコーディネーターを持っていますと言うと評価され、男性が一級建築士を持っていますと言うと評価されても、インテリアコーディネーターを持っていますと男性が言ってもだめであるのとは違って(かつ、女性を男性と差別すると問題になるが、逆は問題にされない)、英語・フランス語・イタリア語・ドイツ語・ロシア語のいずれかをある程度以上できるとなると、それは就職にも有利で、就職してからも有利だと思うのだ。そう考えると、インテリアコーディネーター取得して、キッチンスペシャリスト取得して・・と「中程度の難易度の資格」をいくつも取得して、結局、それが「メシの種」につながらない、というよりも、英語・フランス語・イタリア語・ドイツ語・ロシア語のいずれかを相当根詰めて学習する・・という方が良かったのではないかと思うのだ。
  1998年、栃木県の佐野市の営業所に転勤すると、展示場の事務所の中でもあまり広い方ではなかった佐野展示場の事務所に、ゴルフバッグが置いてあった。栃木県地域の営業所長の五十嵐さんのお気に入りで前年契約棟数0棟のK岡(男。当時、40代前半)のものだった。もっと広い事務所ならまだしも、狭い事務所にそんなものを置いていたのでは仕事の妨げになると思うし、前年0棟の人間のやることではないとも思うのだが、又、事務所の壁の前に板が立てかけてあって、なぜ、こんなものがここにあるのかと思ってその後ろを見ると、壁面に穴があいていた。おそらく、K岡が膝蹴りを加えて穴をあけたと思われる。K岡は気に入らないことがあると暴れるという「爆発力がある」ところがあって、私もいきなり背後から殴りかかられたことが複数回あるが、ところが、その男が「所長のお気に入り」だったのだ。所長の五十嵐さんは、学歴は高卒らしいが、営業の仕事については真面目にやってきた人だと思うのだが、なんで、そんな不良社員が「お気に入り」なのか・・? というと、K岡に限ったことではなく、どうも、五十嵐さんは自分と経歴の似た人間を高く評価するところがあったようなのだ。K岡はどこが似ていたのかというと、「学歴・・・底辺の方の高校卒。 住宅・建築関係の保有資格・・・なし。 前職・・・クルマ屋。」という点が共通していたようだ。だから、私は、(株)一条工務店に入社して社歴が浅い時期に、営業本部長からインテリアコーディネーターをとってくれと言われて、上役がとってくれという以上は、会社員として、なんとしても取得しないといけないと思って大変な努力をして取得したし、取得した以上は、その資格を持った人間にさせるべき仕事に就かせるべきであるし、そうでなかったとしても、役がとってくれと言う資格をきっちりと取得してみせる人間というのは、会社という所においては、取得してくれと言っても取らない人間よりも高い評価を受けるのが普通であると考えたし、楽な仕事をしていてあり余る時間があって合格したのと違って、片方でそれだけでも大変な営業の仕事をこなしながら試験に通って資格を取得してみせたという点についてはその精神面もまた評価されていいはずであると思ったのだが、ところが、総務部長の天野雅弘は「おまえは、インテリアコーディネーターも宅建主任も取る。それが腹が立つ。それがむかつく」と「腹が立つ」だの「むかつく」だのと言い出すし、営業所長の五十嵐さんは「住宅・建築関係の保有資格・・・なし」の人間の方が自分と共通するということでラポールを感じるらしく、前年0棟でも事務所にゴルフバックもちこみ、休日に嫁には仕事に行くと言ってホステスと旅行に行き、腹が立つと自分は遅刻してきてすでに仕事に着いている人間にいきなり殴りかかったり、あるいは下地は石膏ボードの壁に膝蹴りくらわして穴をあけるわ・・という人間でも「お気に入り」になる・・ということは、たとえ、営業本部長がとってくれと言ったとしても、建築・住宅関連の資格なんてものは、取らない方が(株)一条工務店という三流企業で生きていくには良かったのかもしれないということになる。 

   こういったことを考えると、私は、自分自身が合格・取得した資格でも、特に、インテリアコーディネーター・キッチンスペシャリスト・宅地建物取引主任者→宅地建物取引士・・といったものについて、はたして、取得して良かったのかどうか、その内容は価値があると思っているし、また、組み合わせとしても、「女性+インテリアコーディネーター」は評価され、「男性+建築学科卒+一級建築士か二級建築士+インテリアコーディネーター」も評価されるが、「商学部卒+複数地域での営業経験+インテリアコーディネーター(+キッチンスペシャリスト)」というものも、もっと評価されていいはずであると思っているのだけれども、現実に評価してもらえず、どう考えても、「コストと利益を比較衡量して」考えて、その資格を取得するのが、実状として、「男性・社会科学系学部卒」の者に有利と言えないように思えるのです。

   また、だから、私よりも若い人が、何らかの資格の勉強を始めようかという場合、ともかくやればいいと勧める気持ちにはならない。そうではなく、やった方がいいのかどうか、よく考えて決めるべきで、資格を取得するのであれば、その資格がいいのかどうか、他の人にどうかと別に、自分自身にとって、その資格がいいのかどうか、ということを落ち着いてじっくりと考えて決めるべきだ、と思い、そして、私より若い人には、そう話しているのです。
   ところが、そのあたりの認識が欠落して、ひとに無責任なことを言いまくる人、というのもいる。そのあたりを次回、述べる予定にしています。
 
    (2018.6.10.)

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