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社会科学系学部卒・男性のインテリアコーディネーター

主として、「インテリアコーディネーター」と住宅・建築・インテリア・不動産に関係する資格と資格試験に関係する内容

「後進国の外資系企業」タイプの「地方の会社」はあほくさい。努力して取得するなら評価される資格に努力すべき。苦労して尽力するなら報いてくれる会社のために。

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「後進国の外資系企業」タイプの「地方の会社」はあほくさい。努力して取得するなら評価される資格に努力すべき。苦労して尽力するなら報いてくれる会社のために。

[第23回]
  (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ は「中卒・高卒優先主義」の会社でしたし、「浜松という後進国の外資系企業」みたいなところがありました。外資系企業でも、西ヨーロッパか北米の外資系企業ならば、日本の企業よりいくらか給与額を高めに設定している会社が多いという話ですが、それは、片方で、日本の企業のような福利厚生がない、本当に上の方の役職に昇進したような場合、本国の人間と外国の人間とどちらを上にするのかといった場面になると、どうしても、本国の人間の方を優先することになりやすい、という性質もあることからそうしているはずなのですが、日本の企業でも私が勤めてきたような三流以下企業では、日本の企業でも「福利厚生」なんてありませんし、そして、「浜松という後進国の外資系企業」に勤めると、給与は後進国の基準(「地方」の基準)に合わせて低めですし(「中卒高卒の基準」に合わせて低めでもありますし)、なにかと「浜松優先主義」「浜松中心主義」が出てきますし、「遠州人優遇主義」もありますから、非浜松の人間はあほくさい限りです。(株)一条工務店に勤めると、「後進国の外資系企業」に勤めたような面があります。
 (株)一条工務店を辞めた後、2000年代、人材紹介会社の人が、岩手県の日本住宅(株)http://www.nihonjutaku.co.jp/ という会社の話を持ってきてくれたことがありましたが、同社はその時点で岩手県と北海道で住宅建築業をおこなっていて、東京の有楽町のビルの1室に東京事務所があったものの、その時点では東京圏では営業はやっていませんでした。私は高齢の母がおりましたし、東京圏で勤めたが、会社の都合で地方で一時的に勤務してもらえないかという場合には「慶應大学商学部卒」という卒業証書を取得した時から、どこの会社であれ、「総合職」「全国社員」として採用か不採用かのどちらかであり、「一般職」「地域限定社員」としての採用は希望してもないと思っていましたが、最初から「地方」にしか勤務先がない、それも、自分の出身地とは逆の側の「地方」にしかないという会社にあえて応募する理由がないと思われたので断ったのですが、人材紹介会社の人が言うには、この会社は、「地方」の会社でありながら、あえて、岩手県に勤務する人に東京などから来てもらって勤務してもらおう、岩手県の会社だからということで岩手県の人間ばっかりで会社を運営していてはだめで、他の地域の出身の人にも意図的に来てもらうようにしている会社なのだということで、そういう「地方」の会社でありながらその県の出身の人間ばかりではなく他県の出身の人間にも意図的に来てもらって会社を運営していこうという認識「浜松独善主義」「浜松中心主義」で「宇宙の天体は浜松を中心として回転している」という認識の(株)一条工務店(全国から利益をあげておきながら、「お世話になった浜松に恩返しをしたい」などと言って浜松市にだけ300億円を寄付して浜松市にだけ「恩返し」をする会社)とは異なる開明的な認識・世界観の経営者なのか?・・・とも思えました・・・が、それでも、「地方に本社がある会社」というのは給与水準にしても「地方」を基準としており、「地方」の人間が東京あたりに働きに行った方が給料がいいということで東京あたりに出て行って勤めることが多いのに、わざわざ、東京圏に住んでいる関西出身の人間が東北地方に本社のある会社に勤めることはない、と考えました。(株)一条工務店を見ても、「地方」に本社がある会社、もしくは、たとえ、名目上、東京に商業登記簿上の「本店」を置いても実質は「地方」に本社がある会社というのは、「後進国の外資系企業」のような性質のある会社が多いように思えます。「後進国の外資系企業」には(株)一条工務店でもううんざりしたのです。「う〇こまみれのザリガニ」で「うんざり」・・・とどこに出ていたかというと、『クレヨンしんちゃん』ですが、ほんと、「うん・ざり」です。そういったことから、「地方に本社のある会社はけっこうです」とお断りしました。
 (株)一条工務店は2011年の東日本大震災の後、浜松市に「防潮堤」の費用と称して300億円を寄付した、それも、その時点で社長でも副社長でも会長でも相談役でもない大澄賢二郎が主張して寄付した・・・、それを浜松市長で慶應大a法学部卒の鈴木康友と福島第一原発事故の後、静岡県産茶葉の放射線量検査を拒否した静岡県知事の川勝がが称賛したというのですが、本来、もっと従業員にきっちりと手当てを支払うべきで、もっと従業員を大事にするべきであるのに、そうせずに貯め込んだカネから浜松市に寄付をして、それを行政の長が称賛していたのです。鈴木康友は市長として欠陥があると考えるべきではないか。

  1980年代後半、小堀住研(株)〔→1990年に「エスバイエル(株)」に名称変更→後に、実質、倒産した後、ヤマダ電機に買収されて、(株)ヤマダエスバイエルホーム→(株)ヤマダホームズhttps://yamadahomes.jp/ 〕では、銀行出身の人間が多く、取締役の半数、監査役の半数が銀行出身というもので、「一部上場」なんて言っても、一族と銀行が支配しているような会社で、なおかつ、銀行というのは自分の所が融資したのか株を持っているのかの会社をつぶしたくてつぶしたうてたまらないのだろうか? と疑問に思うのですが、害になっても役に立たないようなのを大量に送り込んでくる。しかも、そういう人間の役職が異常に高い。野村克也がどこかで書いていたが、ソフトバンクのオーナーはカネは出しても監督の采配に口出したりはしないのに対し、楽天のオーナーは監督の采配に口出すらしく、たとえ、オーナーでも野球については専門ではないのだから、いったん監督を決めたらオーナーは監督の采配に口出すことはせずにその監督に采配はまかせるべきだと述べていたが、小堀住研(株)には銀行で支店長をちょろっと2年ほどやっただけの認知症が始まっているのではないかという感じのじいさん・・が「 常務取締役」だ「東部営業本部長」だといった役職をもらって、住宅建築業については何もわかってないのに口出す、いわば、野球なんて仕事としてやったことないオーナーが監督の采配に口出すようなことをしていた。従業員にとっては迷惑なことだと思ったが、初代社長の小堀林衛が1989年に他界した後、2代目社長の中島昭午は会社名から「小堀」を取り除いて「エスバイエル」に変更し、さらには「中島昭午が歌う演歌集」などというCDを「エスバイエル発行」で作成・・・て、アホちゃうか・・てことをやり・・・、さらには「高級住宅の小堀」として評価されてきた会社の伝統をドブに捨てて、「最低価格帯のカテゴリーキラーをめざす」とアホなことをあっちやらこっちやらで言いまくり書きまくり・・した結果、そういう「よっぽど会社をつぶしたいのか・・?」みたいなことを社長がすると、あっという間につぶれた。つぶれた会社をヤマダ電機が買収し、新築屋の小堀住研(株)→エスバイエル(株)とともに、リフォーム屋の一時期は勢いの良かった・・ように見えた「リフォームのナカヤマ」もヤマダ電機が買収して、ともに(株)ヤマダホームズにしたが、つぶれた会社を「いぬき」で買い取ったというものだ。最後、敗戦処理の社長にかつて私に直接には会ったこともないのに誹謗中傷を加えた松川という大阪工大卒の男が社長になったが、その程度の男が社長になるその程度の会社はやっぱりつぶれるものなんだなあと思った。
  大学を卒業する年、慶應大学の就職部で言われたのですが、日立〇〇とか東芝◇◇、NEC☆☆ といった名前の子亀会社というのは、良さそうに思えても、そこで一生懸命努力して昇進したとしても、何年か経つと、自分よりも年齢も若くて大学卒業後の勤務経験も短い人間で、日立製作所・東芝・NECという親亀会社での競争に敗れた者がやってきて自分の上の役職につく・・・ということがある、という話を聞きました。慶應の教授で「誰もが行きたがる『大手』『財閥系』『有名』『大』企業に行くと、競争が激しくて、実力を発揮する場がない。むしろ、慶應あたりの卒業生をなかなか採用できないというくらいの会社に行った方が実力を発揮できる機会がある」と言う人があったが、そんなこと言わずに「大手」「財閥系」「有名」「大」企業に行っておいた方が、たとえ、そういう所で競争に敗れても、その会社の子亀会社に行って、子亀会社で努力してきた人間の上の役職にひょ~いとついた方が得と違うのか・・・、子亀会社・孫亀会社に勤めるのはバカ臭いなあなんて思ったもので、その点、小堀住研(株)は、ともかくも、「一部上場」の会社で、「有名」と言えるほど有名ではないが、「知っている人は知っている」という程度の知名度はあり、従業員数千人以上で、早川和男『日経産業シリーズ 住宅』(1988.9.日本経済新聞社)にも掲載されている戸建住宅建築業では上位の会社で、なおかつ、日立〇〇・東芝◇◇・NEC☆☆ といった会社と違ってどこかの子亀ではなく、自分の所が親亀なので、悪くないかと入社時は思ったのですが、入社してみると、「一部上場とはいっても、これがあ?」みたいな「一部上場」であり(その後、ヤマダ電機に買収されて非上場になりました)、何より、財閥系ではないが子亀会社ではなく自分の所が親亀だから、親亀会社から親亀会社での競争に敗れた人間がやってきて上の役職につくということはない・・・だろうなどと思っていたらそうではなく、銀行から変なのがいっぱい来て、しかも、そういう人間が身の程以上に高い役職についていた。「横すべり」ではなく、たとえば、総務部の東京支店在勤だったM野などは、太陽神戸銀行から出向できていたが、このおっさん、そのまま、太陽神戸銀行にいたら、定年直前までヒラのままで、定年直前に主任くらいにでもならせてもらえたら御の字と違うのか・・・て感じのおっさんだったが、それが小堀住研(株)に来ると、いきなり、「次長」・・・で、M野に限ったことではなく、小堀住研(株)に銀行から来た人間というのは、どいつもこいつもフランスも、みんながみんな、その調子だったのです。又、総務とか人事とかいうのは、「一族もしくは銀行から来た人間で、技術系の能力はなく営業では使い物にならない人間のつく職種」という位置づけではだめで、総務や人事としての能力を発揮できる人間がその職種に就くべきだと私は思っていたし、私自身、総務や人事というのは会社において大事な職種であり、大学卒業までに、労働法・労働経済学・労務管理論・会社法や、心理学・カウンセリングなど学んできたような人間が着く仕事と考えていて、決して「一族や銀行から来た人間で他の職種では使い物にならない人間の仕事」と位置付けていい職種ではなく、大学卒業までそういったものを学んできた私などが就く仕事だと考えていたのでした・・・が。ところが、小堀住研(株)は、「一族らしい高卒の程度の低いおっさん」と「銀行から来た能無し」とで人事・総務の多くの部分を占拠されていた。
  これでは、日立〇〇・東芝◇◇・NEC☆☆ といった会社以上というのか以下というのかで、従業員の間でも「ま~た、銀行からわけのわからん、何もわかってないヤツが来るのか」と言われており、さらに、そういう人間というのは、戸建住宅建築業についてわかっているわけでもなく、元外務省の佐藤優氏がモデルの『憂国のラスプーチン』で、外務省の西郷さんだったかが「有能でやる気のある人、有能でやる気のない人、無能でやる気のある人、無能でやる気のない人、この4つで最も害があるのはどのタイプの人間だ?」と質問して、憂木護(佐藤優)が「無能でやる気のない人ですか」と言うと、「ブー」と言い、「無能でやる気のない人はまだいいの。そうではなく、無能なのにやる気のある人というのが一番困るの」と言う場面があったが、小堀住研(株)に銀行から来ていた人たちというのも、そんなところがあって、「無能のくせして、何かやりたがる」という困った人がけっこういた。この場合、その「何か」は、やらずにいてくれた方がいい、というものである。実際、富士銀行から来て、小堀住研(株)では最初から「常務取締役」「東部営業本部長」になった増田和二などもそれで迷惑した。富士銀行(現 みずほ銀行)というのは自分の所が融資した会社なのか、株を持った会社なのかをよっぽどつぶしたいのか? という感じだったが、富士銀行(現 みずほ銀行)は自分の所が融資したのか株を持ったのかという会社をつぶすと、何か得するのだろうか・・・?

  世の中には「いいかげんな資格」もあり、なんでも、資格を持てばいいなどと思って「資格商法」に引っ掛かると、カネだけ取られたみたいになったり、悪くすると、その資格を持つと何何ができる・・・と思いこんで、実は他の正式な国家資格を持っていないとやってはいけないと法律に定められているようなものをさせようなんて資格もあって、うかつにひっかかると有罪にされる危険もある・・とか「資格の本」には書いてあったりもします・・・が、国家資格の場合は国が定めているのですから、「普通自動車第一種免許もってます」なんて言っても、「だから、何なんだよ」と言われるかもしれませんが、持っていて悪いことはない。それに対して、民間資格の場合は、その業界団体が実施している資格試験であれば、どれだけ評価されるかされないか、「(取得するための)コストと利益を比較衡量して考えて」いいかどうかという問題はあっても、取得することがマイナスになることはないが、中にはいいかげんなものもあると言われます・・・が、「国家資格は価値がある。民間資格は価値がない」としか考えられない単細胞も会社の採用担当者にはいるのですが、その思考は間違いです・・・が、自分が経営者の立場か採用担当者の立場であれば、それは間違いだと認識するべきですが、自分が応募する側の立場の時には、採用担当者に面接で「あんたの考えは間違っている」と言うわけにもいかないので、採用担当者がアホですと「アホは正義」になってしまう、正しくない認識でもそれがまかり通るのです。かつ、「採用担当者がアホやから野球ができん!」と言いたくなる会社は実際問題として少なくないのです・・が、できるだけ、「採用担当者がアホやから野球ができん」会社でない方の会社に勤めたいものではあるのですが、あまり高いレベルで希望すると勤めることのできる会社はなくなってしまうので、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」「韓信の股くぐり」と思って我慢もしてきたのですが、『C級サラリーマン講座』みたいな会社が、世の中、けっこう多い( 一一)
  もともと、三井ホームの社内資格だったらしい「インテリアコーディネーター」が国家資格にまでなったものの、「行政改革」で民間資格にされた・・・というのは、民間資格になっても価値があるものは価値があるはずなのですが、「国家資格は価値がある。民間資格は価値がない」という思考しかできない単細胞がけっこういますから、なおかつ、私などは、「通産省認定 国家資格」であった時代にインテリアコーディネーターを取得したのですが、私立の学校が公立になったり公立の学校が私立になったりしても、自分が卒業した時点に私立であれば私立の学校卒、自分が卒業した時点で公立の学校であれば公立の学校卒のはずですが、資格の場合は、「民間でできるものは民間で」とか言ってその資格が民間資格になると、国家資格であった時代に取得した者までが、持っているその資格が国家資格から民間資格になってしまいます。応募しても「インテリアコーディネーターなんて、そんな資格はだめです。そんな資格は。いっきゅうけんちくしい~いでないとおおおおおお!」とか、「こいつ、絶対、アホや」て感じで言われたりするのです。2000年代ですが、私は文化シャッター(株)http://www.bunka-s.co.jp/corporate/outline/ という会社で、「私はバカでも入れる私立五流大学を卒業してきたばかりです」と顔に書いてある20代と思われる若造からそう言われたのです。「こいつ、絶対、アホや!」と思っても、面接で応募する側の人間が「おまえは、アホか!」と言うわけにもいかない(けれども、心の中では「こいつ、絶対アホや」と思っているのですが、又、この会社はこんなアホに面接を担当させているのか」、又、「この会社は俺をこんなアホに面接させるのか。ひとを馬鹿にしてるのと違うか」と思っていたのですが)・・・ので黙って聞いてりぁいい気になりやがってやいやいやいやい・・・と遠山の金さんみたいに言いたくなります・・・が。実際問題として「三流一級建築士」を矢鱈とありがたがる「ほとんどビョーキ」みたいな男というのが日本の建築業界の採用担当者には多いのです。
  三流一級建築士を崇拝する権威主義的パーソナリティーの会社 文化シャッター(株)の人事部長という男は「うちは一部上場ですから」とそこでも権威主義的パーソナリティーを発揮しましたが、決してきっちりした対応をしているわけでもないのに「うちは一部上場ですから」と言えばひとは評価するという観念、「いっきゅうけんちくしい~い」と言えば言われればありがたがらないといけないというあほくさい観念、そういうのはあんまりいいとは思えませんし、そんな認識の男が人事部長になっている会社というのは、一部上場の会社であっても、あんまり一流の会社とは言えませんね。
  
    今まで、三流以下企業にばっかり勤めてきましたので、職場で、なんとも、びっくりするような体験をずいぶんとしてきました。慶應大学の商学部の教授先生が、「東大・京大や慶應・早稲田などの大学の卒業生ばかりという会社に勤めるよりも、そういう大学の出身の人間をなかなか採用できないというくらいの会社に勤めた方が、実力を発揮できる場があっていい面がある」といったことを講義の中で言われたことがありましたが、それは違うと思います。その業界で1位の会社と2位や3位の会社なら、常に1位の会社がいいとは限らない、そうではなく、その会社の体質なども考えて、自分がいいと思ったところに行けたなら、その方がいいということならそうかもしれませんが、これは言う人がけっこうあるのですが、「あまりにも下の会社に行くとかえってよくない」ところがあります、「会社にエイリアンがやってきた」みたいな経験ばっかりさせられて、・・・実際のところ、疲れました。

  
(株)一条工務店の特徴として、
(1)「一流大学」卒の人間に経営者が敵意を持っている、
(2)同業他社に在籍したことがある従業員に経営者が敵意を持っている、という点がある。
いずれも馬鹿げていると思う。せっかく採用した従業員は活かすべきであると思うのが、活用してたまるか、実力を発揮させてたまるか、というその姿勢。愚かである・・が、よくもそういう会社に我慢して11年余もいたものだ。えらいかアホか。結論を言うとアホと違うかと思う。同業他社にいた人間といえども、採用したからには自分の会社の従業員であって他社の従業員ではないはずだが、自分の会社に入社させても、それでも、同業他社の従業員のように思って、「こんちくしょう!」という気持ちでいるのかもしれないが・・、あんまり賢い人間の思考ではない。

  小堀住研(株)は「技術系の会社」と言っていたが、それは一理はあって、技術系の部分については優れた部分があるが、営業に関しては中に関心しない人もおり、総務・人事においては「これが『一部上場』の会社の総務・人事か」「これが従業員千人超す会社の総務・人事か」という状況だった。父が「その会社がどの程度の会社かを見るには、営業を見るのではなく、総務や人事を見るとわかる」と言ったことがあったのだが、その理由は、営業の場合、しっかりした営業がいたとしても、それはその人がそうだったというだけという場合があるのに対し、総務・人事にはその会社の実力が見えるというのだ。小堀住研(株)の場合、人事部長の高田については「こんな男が人事部長なのか」とあきれたが、おそらく、一族だから人事部長にならせてもらっていたというだけの男だろう。ところが、小堀住研(株)の不幸というのか、末期症状というのか、銀行から派遣されていた能無しが大量にいたという点がある。入社式の後の立食パーティーの時、太陽神戸銀行から出向できたばかりで常務取締役・西部営業本部長になったという大野が「借金があるから来ているのではなく、人材が不足しているから来てるんです」と発言したが、
(1)銀行と住宅建築業は仕事の内容が異なる。サッカー選手として優秀な選手、陸上競技の優秀な選手を連れてきて野球をさせたとしても、野球選手として優秀とは限らない。もしも、銀行に勤めて、銀行で実績を残したから住宅建築業もできるに決まっていると思っているのなら、それは思い上がりというものだろう。
(2)そんなことよりも、もっと大きな問題として、そもそも、銀行というのは、他社に「優秀な人材」を貸すほどそんなに「人材」が余っているのか? そんなわけないだろうが。もし、本当に優秀な人材なら自分の所に置いておくだろうが。違うか?
だから、その大野の発言はウソである。小堀住研(株)は、いい所を大事にして、問題点を改善すれば、いい所を活かすこともできたのではないかと思うし、いい家を作っていたのになあ、「小堀ならでは」という家を作っていたのになあと残念だが、2代目社長の中島昭午は逆をやってぶっつぶしたようだ。アホだったということだ。

  私は大学卒業までに、労働法・労務管理論・労働経済学などを学び、心理学・カウンセリングなども学んできた者であり、(株)一条工務店に入社するより前、他社で人事総務部に在籍したこともある者だった。(株)一条工務店に入社すると、同社の総務というのは、初代社長の大澄賢二郎の義理の弟の天野隆夫の嫁の天野順子が「総務の責任者」で、縁故らしい山本というヌケタの男がヒラから「主任」に昇進する功績を残したわけでもなく、功績を残せるような人間ではないにもかかわらず、「主任」にならせてもらって総務にいて、ほかは「高卒の女性社員」だけだった。「浜松地方の工務店」ならともかく、全国展開していこうという会社においては、それではだめであり、私のような国立大学か早慶くらいの大学の社会科学系学部卒で労働法・労務管理論・労働経済学などを学んできたような人間を1人は配属して担当させないと、「社長の義理の弟の嫁」が総務にいて悪いとは言わんがそれが「責任者」ではだめで、ましてやヌケタの山本では論外だったはずだ。ところが、(株)一条工務店浜松 の経営者は、「浜松工務店」から脱却するのを断固として拒否するのだった。
  私が宅地建物取引主任者→宅地建物取引士の資格を取得しようと考えたのは、小堀住研(株)に入社した際、技術系(4年制大学の建築学科・土木学科卒の人)は建築士・営業系(4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人)は宅地建物取引主任者→宅地建物取引士の資格をぜひ取得するようにしてもらいたいと言われたことと、応募した際の面接の際、「うちの会社に入社されるなら、宅地建物取引主任者の資格を取ってもらうといいです」と言われたことによる。
  宅地建物取引主任者→宅地建物取引士 には、32歳の時の試験で合格し、登録した時は33歳だった。会社に勤めた場合、その会社の仕事に関係する資格を、何かひとつくらい取得しておきたいとは考えていたが、資格は取得すること自体に意味があるのではなく、取得したものを活かしてこそ価値があると考えていたので、もうひとつくらい取得してもいいけれども、すでに30を過ぎていたことでもあり、むしろ、「婚活」の方が先かもしれないとも思っていた。もしも、もうひとつ取得するのなら、建築士は受験資格が4年制大学の建築学科卒なら、実務経験なしで二級建築士を受けることができたが、商学部卒では建築士受験に際しては「学歴」にならないのでその点で取得は大変であるし、そもそも、会社には建築学科卒で入社している人間もいるのだから、そういう方面は建築学科卒で入った人にまかせておいて、労働法・労務管理論・労働経済学など学んできた者には人事総務関係の仕事をさせるか、もしくは、法律科目を多く学んできた者には法務部のような仕事をさせるか、あるいは、(株)一条工務店は外国から輸入しているものもあったのだから、経済学などを学び、同社のような従業員のレベルから考えると上の方の水準であった語学力を活かして、外国から輸入するようなものの担当をさせるか、商学部出身者として、商業学・経済学などの認識のもとに、商品開発や新規出店計画の担当などさせるか、そういった使い方をするべきであり、そういった使い方をしないなら、せっかく、慶應の商学部卒の者を採用してもその意味がないことになる。「うちの会社にも慶應大学出た人間いるんですよお」と言うためだけに採用したわけでもあるまい・・・と思ったのだが、(株)一条工務店のオーナー経営者一族というのは論外の考え方をしていたようだ。「バッカじゃなかろかルンバ♪」て感じもするが、「なかろか」ではなく、バカだったはずだ。「ベンチがアホ」の会社によく11年余も我慢して勤めたものだ。えらいかアホか・・、アホかもしれないが、あんな会社でよく頑張ったなあという面もある。

  (株)一条工務店では、ある程度以上の年数を在籍してある程度以上の営業成績を残した者が、会社都合で転勤した場合、「副店長」に昇進することになっていた。1998年、私はその条件を満たして福島県いわき市の営業所から栃木県佐野市の営業所に転勤した。しかし、すでに30代後半になっていたのに、まだ、この会社は私に一線の営業をさせるのかと思い、いわき市の営業所に赴任したのは、複数の地域を実際に経験するという意味があるとしても、まだ、他の地域を経験させても、いったい、いくら経験させれば気が済むのか。1980年代前半、テレビで「今年、大蔵省に入省した皆さん」という企画が放送されていたのを見たが、東大出身者が5人、慶應出身が1人。東大出身のうち1人が女性で他は男性。その1人の男性が入省1年目に何をやっていたかというと、「廊下とんび」と言って、書類を持って廊下を「とんび」のように走り回るというもので、アナウンサーが「あなた、東大出なのに、廊下とんびなんてさせられて嫌じゃないですか」と言ったのに対し、「いえ、そんなことありません」と答えていたが、大蔵省では国家公務員1種合格で入省した東大卒の人間には、入省1年目には「廊下とんび」をさせても7年目にまで「廊下とんび」をさせることはないはずだ・・・が、(株)一条工務店は私にそれをさせたのだ。この会社はいったいいつまで私に「廊下とんび」をさせるつもりか・・・。
  インテリアコーディネーターは、(株)一条工務店に入社2年目に入った頃、営業本部長の天野隆夫から取得してくれと言われ、上役から言われたのなら取らないわけにはいかないと思い、それで、もしも、宅地建物取引主任者→宅地建物取引士 の他に住宅建築業に関係のある資格をもうひとつ取得するのなら土地家屋調査士はどうかと思って受験参考書など見ていたのだが、それを取りやめてインテリアコーディネーターの試験の学習をはじめ、3回目の受験で1次(学科)に通り、その翌年に2次(製図・論文)に合格して登録した。慶應大学商学部卒として入社した者に、人事総務にはろくな人間がいない会社においてはそちらで使うという選択もあったはずだが、インテリアコーディネーターを取ってくれと営業本部長が言い、「慶應大学の出身の人ですから、いろんな場所を経験してもらおうと思いまして」ということで福島県いわき市の営業所にも勤務したのだから、インテリアコーディネーターの有資格者として、慶應の商学部出身者としての商業学・マーケティングや経済学の認識・発想とともに、インテリアコーディネーター資格者としての知識・能力を活かし、複数地域での実際の営業経験とともに、商品開発なり新規出店計画なり、外国から輸入する物についての担当なりさせるつもりなのであろうと思い、営業としては一貫して条件の悪い展示場に配属されながら、そこで努力して苦労して実績を残し、インテリアコーディネー他の資格試験にも合格したのだが、いつまでも、「廊下とんび」をさせる会社だった。

  (株)一条工務店を辞めた後、応募して知ったが、インテリアコーディネーターというのは男性が取得しても割が合わない資格だった。女性が取得すると、「インテリアコーディネーター」の求人はあり、資格者は採用してもらえるように可能性が高くなる。それに対して、「慶應大商学部卒+インテリアコーディネーター+複数地域での勤務経験」というのは評価してもらえない。「職種:二級建築士もしくは一級建築士」として募集されているものは、二級建築士か一級建築士の資格を持っている人を採用して、設計なり工事管理なりその他技術系の仕事を総合的に担当してもらおうと考えているという意味だが、「職種:インテリアコーディネーター」として募集を出している会社はそうではない。「職種:インテリアコーディネーター」と求人票に出していた千葉県市川市の建築会社に電話したところ、「男性の採用は最初から考えていませんから」と言われて電話を切られた。2000年代、東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市〕http://www.10kai.co.jp/ が「職種:インテリアコーディネーター」として募集していたものに応募した時には、「人相が悪くて目つきが悪い」その時点では常務取締役だったヤクザ顔の大澤が「インテリアコーディネーターのような女性の資格以外にも、当社では男性の仕事もありますから」と発言した。インテリアコーディネーターというのは、歯科衛生士のように女性でないと受験できない資格ではなく、男女関係なく受けることができる資格でありながら、いったん、取得すると、「女性の仕事」と言われてしまう資格だった。なんとも、あほくさいものを苦労して取得したものだ。「インテリアコーディネーター」として募集していた求人に応募した時には、「実は、うちの会社とある大手さんとで共同して事業をやろうということになっておりまして、私は〇〇さんの履歴書を見て、こういう人もいいかと思ったのですが、大手さんの考えとして、インテリアコーディネーターというのは、一級建築士のアシスタントで、お客さんにお茶出しをしてもらって、お客さんのお子さんの相手をしてもらうという役割として考えているので、女性でないと具合が悪いということでした」と言われて不採用にされた。要するにその「大手さん」の担当者の認識としては、インテリアコーディネーターというのは「三流一級建築士のアシスタント 兼 お茶くみおばさん 兼 子守女」の資格だということだったのだ。

  なんとも、ばかばかしい資格を取得してしまったものだ。「コストと利益を比較衡量して」考えてという思考をするならば、インテリアコーディネーターという資格を取得するのは、男性、特に社会科学系学部卒の男性にとってはコストがけっこうかかりながら利益が薄い。 男性が取得した場合でも、「建築学科卒 一級建築士」がインテリアコーディネーターも取得したという場合は、プラスαの評価を得ることができるようで、「建築学科卒+一級建築士+インテリアコーディネーター」は評価されるが、「商学部卒+インテリアコーディネーター+キッチンスペシャリスト」はなかなか評価してもらえない。会社というものは、同じような人間ばかりで構成・運営していてはだめで、「建築学科卒+建築士」の人間と「商学部卒+インテリアコーディネーター」とで協力し意見を出しあってこそいい結果が出るはずであり、「商学部卒+インテリアコーディネーター」は価値があるはずだと私は思ったのだが、ひとつには、住宅建築業界というのは「未成熟な業界」であり、成熟していない会社においては、技術系部門では「学識者」の能力を取り入れるが、社会科学系学部出身者の能力を取り入れようという姿勢に欠ける場合がある。これは森川英正『日本経営史』(日経文庫)に出ていた話だが、日本の企業で「学識者」の活用は、まず、技術系部門から始まり、その後に社会科学系学部出身者の活用がなされるようになった、というのだが、 「今もって明治以前」の会社というのが「未成熟な業界」である戸建住宅建築業の業界では存在し、そういう会社では社会科学系学部出身者は「中卒高卒の人間の引き立て役」として採用したいだけ・・という場合があるようだった。「いいかげんにしろよ」という気持ちになるが、「中卒高卒優先主義の会社」は「いいかげん」でとどめない。(株)一条工務店の中卒高卒の経営者は決して「いいかげん」ではとどめない。限度というものを知らない。そのあたりが中卒高卒の経営者の特徴なのかもしれない。
  (株)一条工務店の同僚から「〇〇さんは本当によく我慢しますね」と言われたこともあったが、普通なら会社の経営者はそうやって我慢をしてきた者に対しては、我慢させてきたんだということで配慮をするべきであるし、自分の利益ばかり通してきた者と私のように会社のためを思って我慢してきた者とでは後者はそれだけ会社に尽くしてきたと評価されていいはずだが、(株)一条工務店の中卒高卒の経営者は私のように会社のためを思って我慢する者というのはそれが基本みたいに思ってしまうようだった。

  (株)一条工務店では、福島県いわき市に5年間・栃木県佐野市に3年半・山梨県上野原市に1年4カ月勤務した。住宅建築業の会社においては、営業をやるのなら同じ場所で継続して勤務した方が、契約客から紹介をもらえることもあり、その場所の特徴についても熟知しており契約はあがりやすいが、会社を運営する仕事に携わろうとするならば、1か所しか知らないようではいけない。「浜松の中のカエル」が他の地域の人間に迷惑をかけるということは(株)一条工務店を見れば明白である。だから、同社にとっては、大学卒業までの学問的努力とともに、複数地域での勤務経験のある私は貴重であったはずだが、浜松中心主義・浜松独善主義の「主義者」が支配する会社のオーナー経営者にとっては、「空の一部分の広さは浜松の広さと同じだと言うのならそれは正しいが、空の広さは浜松の広さと同じだと言うのならそれは間違っている」と認識している人間というのは、それだけでも「腹立つ」らしい。考えてみれば、なんとも「しょーもない会社」のために滅私奉公を続けたものだ。
   職業安定所が「早期就職支援センター」なるものをおこなっているが、あれは税金の無駄遣いである。「早期就職支援センター」の担当者というのは、アホであり甘ったれている。「早期就職支援センター」というのは、あくまでも「早期就職支援センター」の職員の早期就職を支援する所であって、早期就職支援センターにクライアントとして行く人間の早期就職を支援する所では決してない。 戸建住宅建築業の会社で営業の仕事をした者でも、特定の地域でしか仕事をしていない人間には、「空の広さは浜松の広さと同じだ」という認識を持ってしまっている人が少なからずいる。特に、低学歴の人にはそういう世界観を持つ人が多い。そういう人でも、その地域にいる限り、営業として成績を残せることもあるようだが、そういう人は他の地域に行って仕事をさせるのは無理であり、他の地域の人間にアドバイスさせるのも無理である。又、会社全体を考えて、全国を視野において会社運営を考えるのも無理である。私は大学卒業までの学問的努力とともに、関西の産まれの者が東京の大学に行き、都市圏としては東京圏で勤務し、「地方」においては福島県に勤務して、福島県よりは東京圏に近いが「地方」の側に属すると思われる栃木県で勤務し、山梨県でも勤務したことで、それぞれの地域の地域性・県民性による違いというものを肌で感じてきた。同じ場所にずっといた方が営業としての契約棟数は多く数えることができたかもしれないが、複数地域を経験したことで得たものは貴重である。だから、私は千葉県船橋市の早期就職支援センターで、それを話したのだ。ところが、早期就職支援センターのおっさんは、「何を言ってるんだ。そんなもの、何の価値もあるものか。あんた、いわきに5年間いたというのなら、いわきの業者やいわきの政治家なり役人なりに口がきいてあんたの言うことなら何でもきいてもらえるとかいうことでもあるのか。そうじゃないんだろ。そうじゃないなら、そんなもの、何の価値もあるものか。甘ったれるな!!!!」とそう言ったのだ。さらに、早期就職支援センターは、「商品開発とかそういうものをやりたいと言うというのは、人間が甘ったれてるからそういうことを言うんだ」と罵ったのだ。私は正直に話をしているのに、その早期就職支援センターの男は人の話を真面目に聞いていないようだ。私はもとから商品開発などの仕事をやりたいと考えていたのではない。もともとは、心理学などの研究者になりたいと考えていた人間で、それが商学部に行かされてしまったので、結果として商学部の科目としては労務管理論・労働法・労働経済学など「職場でひとを活かす」といった分野に関心を持ち、又、心理学の研究者になるのではなく社会科学系学部に行った司法試験を受けて裁判官か弁護士になることを考えていた人間だったので、法律科目を多く履修して卒業した。だから、会社という所に勤めた場合にも、それらを活かして人事・総務関係か法務部のような所に勤務させてもらえたらと思ったが、小堀住研(株)では営業の方が給与がいいと言われたこと、同社の研修でこういう営業なら自分にもできるのではないかと思ったことと、慶應の就職部の方から営業の方が会社全体を理解できるようになるのが早いと言われたことなどから営業の仕事についたが、いったん、営業の仕事についても、住宅建築業の場合、人事・総務をやるにしても、営業などの経験のない者に人事総務もできるのかという問題があり、会社が住宅建築業の営業の経験も踏まえて人事総務の方をやってもらいたいということならやってもいいと考えていた。しかし、(株)一条工務店は営業本部長がインテリアコーディネーターをとってくれと私に言い、他の人間と違って他県の営業所の経験をさせて、商品開発や新規出店計画などの担当をさせようとしたのである。私が希望したのではなく会社がそうしたのである。「甘ったれるな」という雑言は早期就職支援センターはそういう扱いにした(株)一条工務店の経営者にするべきであろう。私は早期就職支援センターのバカ職員にそういう口をきかれる筋合いはない! むしろ、早期就職支援センター職員こそ「甘ったれるな!」と言われるべきであろう。税金からカネもらって、何を甘ったれたことやっているのか!!! 「早期就職支援センター、甘ったれるな!」と言うべきであり、言われるべきであろう。早期就職支援センターは害がある。職業安定所の職員から聞いた話では、早期就職支援センターというのは職業安定所がやっているけれども、最初から公務員として勤めた人間ではなく、公務員の試験に合格して就職した人でもなく、民間会社に勤めてきた人間を、ある時、早期就職支援センターで採用してコンサルタントみたいな仕事をさせているというのだが、結局、それではヤミというのか裏口入社と変わらないのではないか。私は、早期就職支援センターというのは、職歴・資格・学歴から考えてどういう所なら採用されやすいか、どういう応募の仕方をすると採用されやすいか、こういう所なら欲しがるのではないかといったことを一緒に考えることで単独で考えて応募するよりも早期に就職できるように支援するセンターだと思っていたが、そうではなく、そういったことは一切せず、勝手なことばっかり罵って早期就職支援センターの職員が快感を感じて喜んでいるだけという所だった。早期就職支援センターは害がある。早期就職支援センターは税金の無駄遣い、早期就職支援センターはその存在そのものが税金泥棒である。

   「小泉行政改革」の時に、職業安定所を民間にしてはという話が出たが、その時には、私はそれはいけないと思ったのだ。人材紹介会社には「ヘッドハンター」とかいう名称の職種の人がいるのだが、「ヘッドハンター」から声をかけていただくと、自分はそれだけ評価してもらえる「人材」なのか・・と一瞬思いそうになるけれども、だから採用されるとは決まっていない。それより、「ヘッドハンター」ということは、その会社に役に立つと思えばハンターのように手に入れようとするが、要らないと思えば切り捨てるような響きのある言葉だ。別の人材紹介会社では会長さんが自分自身が求職に苦労した経験から「どんな人にでも仕事にめぐりあえるようにしてあげたい」と言われたのを聞いて、そういう会社にこそ、そういう人にこそ、自分が応募する側でもひとを採用する側でも頼みたいと思った。職業安定所という名称は、「職業を安定させる所」という言葉であり、「どこもが欲しがる人材」(なんてものがあるのかどうか知らんが)をハントして企業に売りつける者ではなく、すべての人が職業にありつけるようにする所という意味の言葉であり、それが職業安定所の使命であり、社会的役割で、それは「民間」でできるものではなく、「民間」にしてしまうと、それほど苦労しなくても仕事にありつける人を紹介する所になってしまうのではないかと思ったのだ。ところが、現状の職業安定所は違う。船橋市の職業安定所で、求人票に「時間外 なし」と書かれていたものがあったので、「これは、時間外労働はなく定められた勤務時間内だけで仕事ができているという意味ですか、それとも、時間外労働について賃金は支払われていないという意味ですか。どちらですか」と職員に尋ねたところ、「知ら~ん! わから~ん! 甘ったれるな!」と言われたのだ。
船橋の職業安定所の対応は、この時だけでなく、他にも求人票の記載内容について質問したところ、同様に「知ら~ん」「わから~ん」と言われたことがあったのですが、このあたり、「民間」の人材紹介会社ではありえないことです。甘ったれているのは、いいかげんな求人を受け付けていいかげんな情報を紹介して給料をもらっている職安職員の方と違いますか。「民間」の人材紹介サイトで、求人募集に書かれている内容と応募して際とで内容が異なったというような場合、人材紹介サイトに苦情を言うと、ともかくそれなりに対応してくれますが、それに対して職業安定所に苦情を言っても「そんなこと言われても、うちでどうするということはないので」とか言って常に応募する側が悪いというように持っていきます。なぜ、職業安定所の職員はそういう態度をとるのか。彼ら職業安定所職員は、「すべての人が職業にありつけるように」という姿勢で仕事に従事しているのではなく、職安職員というのは、あいつらは「失業者は犯罪者である」「求職者は悪いやつだから仕事を失った人間だ」という意識でおり、職業安定所は「すべての人が職業にありつけるように」存在するのではなく、「失業している人間というのは、その人間が悪いやつだから、その人間に問題があるから失業しているのであって、国の政策に問題があるから失業者が出ているのではない」ということにするために職業安定所および早期就職支援センターをやっているのです。そんな意識でいるから、だから、あいつらはふんぞり返っているのです。ですから、そんな職業安定「所」はない方がいい。職業安定所は「民間」にすれば、おそらく、殿様商売で労働者・求職者に敵対してきたあいつらは食えなくなるでしょう。職業安定所は「民間」にして、職安職員は一度食えなくしてやった方が、あいつらのためだと思います。
 
   
 私は、複数地域での経験というのは価値があると思っているし、又、営業の仕事というのは複数の会社で経験した方が客観的に見えるようになり、いいかもしれないとも思っている。それぞれ、その時に所属した会社のやり方を尊重しながらも、自分自身の考え方・自分自身のやり方というものを確立した者は、どこに行ってもそれなりにやっていける可能性があるのに対し、特定の会社で特定の場所しか経験のない人というのは、そこにいてそこの状況がないと、他では役に立たない可能性がある。しかし・・・、実際に求職活動をして骨身にしみて感じた。 「福島県に5年間、栃木県に3年半、山梨県に1年4カ月勤務しましたあ~あ・・・」と言っても、なかなか評価してもらえない。「ミラノに5年間、パリに3年半、ロンドンに1年4カ月勤務しましたあ~あ・・・」と言ったなら、それなりに評価してもらえたのではないか。そういったことを考えると、アホ一条工務店のアホ経営者に「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」「臥薪嘗胆」「韓信の股くぐり」と思って我慢して毎日毎日、毎年毎年、滅私奉公を続けたのは、結局、バカを見さされるためにバカを見てきた・・ということだったようだ。
  どちらでもできる」と「両方できる」は意味は同じではない。(株)一条工務店のアホ経営者の指示に従って、苦労してインテリアコーディネーターの学習をし、製図の勉強などそれまでにたいしてしていないのに製図が試験にある資格試験を受けて合格まで達成し、他の分野のもの、法律関係なり語学関係なりの資格をめざしておれば、取得後、もっと評価が高く、かつ、私にとっては取得は楽だったと思われるものを取得せず、入社するまでに学習してきた方面とは異なる資格の試験に尽力して合格までたどりついたものの、なんとも、世間での評価の低い資格ばっかり取得してしまった。かつ、ミラノに5年間、パリに3年半、ロンドンに1年4カ月」でなくても、「バルセロナに5年間、ポートランドに3年半」でも勤務させてくれれば、「福島県に5年間、栃木県に3年半、山梨県に1年4カ月」と勤務したよりもその後の評価は高かったであろう。中卒高卒優先主義の(株)一条工務店は何かと「高卒のおっさん」を優遇しようとするが、そういう人にミラノに勤務してもらってもイタリア語を習得するのは無理だろうが私なら習得できたであろうし、現地の状況も理解すれば、現地の建築・インテリアについても理解し、それを会社の商品に反映させることだってできただろう。フィリピンに工場を作ったとしても、それも「高卒のおっさん」に担当させるより、私に行かせてくれれば役に立ったと思うのだが、中卒高卒優先主義の会社の経営者にとっては、そういう意識でいる人間、「なんで、俺を使ってくれないんだ」という意識でいる人間は、その意識自体が「腹立つ」とか思っていたのではないか。
  同じ量・程度の努力・苦労をするのなら、報われるような努力・苦労をするべきで、滅私奉公もまた、報いてくれる会社のためにするべきだったと思う。 私より若い人で、このブログを読んでくださる方は、ぜひそのあたりを参考にして判断されたい。毎日毎日毎年毎年、滅私奉公を繰り返して、超弩級にバカを見させられた男の本音である。

   (2019.6.28.)

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