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社会科学系学部卒・男性のインテリアコーディネーター

主として、「インテリアコーディネーター」と住宅・建築・インテリア・不動産に関係する資格と資格試験に関係する内容

入学試験・資格試験に合格するための基本論「受験はアタマでやるもんや」

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入学試験・資格試験に合格するための基本論「受験はアタマでやるもんや」

[第21回]
  考えてみると、住宅・建築・インテリア・不動産の関係の資格をずいぶんと取得したものだ。2000年代はじめ、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の栃木県佐野市の展示場にいた旧姓S藤M美(女。当時、20代後半。その後、結婚してK林M美。さらにその後、離婚したかどうかは、それは知らんが別にどうでもええ)は展示場の事務所で、始終、「私は、『資格ゲッター』になりたいんです」と言うておったが、いつまで経っても1つも何も取得しなかった。アメリカ合衆国ニューヨーク州立シラキュース大学の精神科教授トマス=サズが『「精神医学」という神話』(岩崎学術出版社)で「彼らが言っていることを聞くのではなく、やっていることを見るべきだ」というアインシュタインの言葉を引用していたのだが(私はアインシュタインがどこでこの言葉を言ったのか知りたかったのだが、今に至るまで知ることができずにいるが、大事なのはこの言葉の意味であって、言ったのがアインシュタインであろうがアリストテレスであろうがアンデルセンであろうが、そんなことはたいした問題ではない。もしも誰も言ってなかったならば私が言うだけのことだ)、この言葉を基準として見るならば、旧姓S藤M美は「資格ゲッター」だかゲッターロボだかになりたかったのではなく、《年中、「私は資格ゲッターになりたいんです」と言いまくる女》というものになりたかった、ということのようであった。なりたいものになれてよかったじゃないか・・・。しかし、私は「資格ゲッター」だかゲッターロボだか高輪ゲッターロボだかになりたかったか、《年中、「私は資格ゲッターになりたいんです」と言いまくる人間》になりたかったのかというと、最後のヤツにだけはなってたまるかと思っていた。「入学試験であれ資格試験であれ、試験というものは、カネをかけずに、さっさと通る」というのが“ポリシー”であり“美学”である。「資格ゲッター」とかゲッターロボとかいうのにもあまりなりたくはなかった。資格というものは取得すること自体に意義があるのではなく、その資格を活かしてこそ価値があるのであり、資格を趣味みたいに集め、そのためだけに時間と労力を費やすというのは、それは「人生の無駄遣い」だと思う。

  これは、資格試験よりもむしろ大学入試の方に言えることだが、 「普通にやったら、100点満点で60点とれる」という人間がいたとする。普通にやったら100点満点で60点とれるはずだが、「普通にやる」ことができない事情・状況があったなら、「普通にやったら60点」とれる人間が40点しかとれない、20点しかとれない、0点近い点数をとるということはありうることである。 もしも、家庭に心配事があったり、家族の協力が得られないとか、あるいは病気で入院していたとかそういう事情があれば、「普通に」やれない場合があるので、60点未満になる可能性がある。40点になるか30点になるか、0点近い点数になる可能性もある。この場合、もし、10点程度しか取れなかったとして、どうすれば60点程度取れるようになるかというと、「普通にやる」ことができる条件を回復することである。
  私は高校生の時、家庭環境は悪すぎた。「普通にやる」ことができなかった。だから、「普通にやったら60点とれる」人間でも「普通にやる」ことができなかった。北野高校というのは大阪府では一番の進学校だったので、高校の先生というのも優秀な先生ではないかと最初は期待した。又、先生も北野高校の出身という人が何人かいたので、そういう人は人生の先輩として高校生が困っておれば助けてくれるのではないかとも期待した・・・が、今から考えると、高校生および高校卒業後の受験生の時期の私は北野高校の教諭というものを買いかぶっていた。『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)の著者の柴田孝之が「能力的にも人間的にも優秀な教師というのは多くの人間が思っているよりはるかに少ない」と書いていたが、今、私もそう思う。特に、高校2年の時の担任だった旧姓S野礼子(女。当時、20代。北野高校→神戸大文学部卒)は明らかにマイナスになった。北野高校は行きたいと思って行った学校だったので合格した時はうれしかったが、卒業して何十年か経って考えると、あまりいい学校と言えないのではないかという気がしてきた。いいところがないわけではないが、いいと言えない点もある。特に、旧姓S野礼子がいたというその点だけで、他にどんなにいいところがあっても、最低最悪最凶の学校だったと思う。たとえば、母は「高校は勉強するところであって体育するところと違うんだから、体育の授業はでることないでしょ」と言って、1限目が体育だと家を出してくれないのだ。「高校は勉強する所であって修学旅行しにいく所と違うんだから、修学旅行は行くことないでしょ」と言って修学旅行の費用も出してくれなかった。担任の教諭ならそのあたりを親に説得してくれてもいいのではないかと思ったが、ところがどっこい、旧姓S野礼子とすれば、生徒につくよりも親についた方が高校教諭の処世術としては正解と考えたようで、懇談とかあると必ず親につくのだった。ひどい女だったと思う。高校の教諭(特に北野高校の教諭)に過大な期待(もしくは、その職業の人間・その立場の人間に対しての当然の期待)をしていたのが高校生の時および高校卒業後しばらくの私の認識の間違いだった。あんな人間が高校の教諭になることないのではないかと今は思うが、なにしろ、公立高校の先生というのは親方日の丸で「会社」はつぶれないし、給料の遅払いう未払いはないし、休みは夏休み・春休みは長いし「試験休み」なんてのもあるし、私が勤めた三流企業なんかと違って「国民の祝日」も休みだし、自分が担当する授業は2限目からだと1限目は休みだし、6限目まで授業があったとしても、6限目が午後2時40分に6限目が終われば3時までに「退社」できるし、それと別に有給休暇とれるし、入学式の日に有給休暇とって海外旅行に行くことだってできるし、進学校の生徒は不良高校の生徒みたいに暴れないし、放っておいてもそれなりに京大とか阪大とか行きよるし、こりぁたまらん♪ もう、うはうは♪・・・てなもので、高校生のめんどうを見てあげたい、高校生が困ったことがあれば力になってあげたいという気持ちなんてなくても、ほかの仕事より楽ちん楽ちん♪ てなもので、「三日やったらやめられない♪」て仕事だったのかもしれない。
  ちびっと話がそれてしまったが、ともかく、「普通にやったら100点満点で60点とれる」という者がいて、何か「普通にやる」ことができない悪条件があったとすると、その者が60点とるためにはどうすればいいかというと、「普通にやる」ことができる条件を回復するにはどうすればいいか、ということを考えて対処することだ。1970年代後半、高校生の時、母は機嫌が悪いと、私が高校から高校から帰宅しても、家の鍵をかけてすべての雨戸を閉めて、インタホンの電源コードをコンセントから抜いて鳴らないようにして、家に入れてくれなかった。その上で、さらにクラス名簿とかから電話をして「息子が帰ってきませんねん」とかあっちやらこっちやらに電話をかけるとかすることもあった。そういう人間でそういう家庭だった。まず、そういうことをされると精神的にまいった。しかし、それが我が家だったのだから、しかたがないのかもしれないが、そういう家庭でない家庭の息子や娘はうらやましかった。「普通にやったら60点」といっても、問題が難しければ50点にもなり、易しかったら70点にも100点にもなるので、「普通にやったら60点」というこの場合、「60」というのはそれほど意味はない。その「普通にやったら60点とれる人間」であるはずなのに、それより低い点数しか取れなかったというのは、実は高校時代の一時期の私自身のことだ。その「普通にやったら60点とれる」はずなのに、「普通にやる」ことができない家庭環境をなんとかするために高校の先生というのはいくらかなりとも協力してくれたっていいのではないのか、それが高校の先生の仕事と違うのかと思ったのだが、旧姓S野礼子なんかはそういう考えはなかったようだ。むしろ、親に加担した方が高校教諭の処世術として正解だと考えていたようだった。最低の女だと思う。クラス会があっても、もしあの女が来るのなら私は行きたくない。又、行くべきではない。旧姓S野礼子は「私は両親が離婚したから」と「両親が離婚した」というのを「売り」にし自慢にしていたが、そもそも、 「両親が離婚した」などというのは自慢するものなのか? 「両親が離婚した」ら何かえらいのか??? そういうものではないと思うが、「両親が離婚した」などとそんなものを自慢するような女は、たとえ、高校の教諭をやるにしても「両親が離婚した」女生徒専門の教諭になるようにしてもらいたい。そうでないと迷惑である。「両親が離婚した」のでない生徒はあの女に担任もたれたら災難である。

  それで。「普通にやったら60点とれる」という者がいたとして、合格最低点は60点より高かったとする。その場合、「普通にやったら60点とれる」という者は「必死でやったら70点とれる」だろう。中学生から高校生くらいの頃の私なんかは、「必死でやったら70点とれる」ことになっただろう。もし、合格最低点が65点だったなら、「必死でやって70点とれた」人間は合格である。おめでとう(^^♪ ・・・しかし、「普通にやったら60点とれる」人間が「必死でやって70点とった」として、合格最低点が75点だったとすると、「必死でやった」にもかかわらず、不合格である。
  1960年代、母のいとこ(といっても、母は6人兄弟の一番上の娘の娘で、下から二番目の叔母の息子なので、母のイトコというより、母の娘〔私の姉〕のイトコくらいの年齢だったのだが)が、大阪府立の天王寺高校(私が高校に進学した1970年代なかばでは北野高校の方が天王寺高校よりも進学成績は良かったが、その1960年代なかば頃は、大阪府で一番の進学校は天王寺高校だった)から東大を受けて、高校卒業時に落ちた時、不合格だったというのを聞いてお父さんが「かわいそうだ」と言って頭からふとんをかぶって泣いた、という話を母は(母の)叔母聞いたそうだ。「勉強せんもんが落ちるのはしかたがないが、勉強する者が落ちるのはかわいそうだ。あれだけ一生懸命やったのに、落とすことないじゃないか」と言ってお父さんは泣かれたというのだ・・・が、高校生および高校卒業直後の私はそうは思わなかった。むしろ、「勉強せんもん」は落ちた時、「かわいそう」とか言ってほしいかもしれないが、「勉強するもん」にとっては落ちたということは、自分の得点が合格最低点に届かなかったということで、通ったやつに比べて低い点数しか自分がとれなかったのだから自分が悪いのであり、「かわいそう」とかいう性質のものではない、と思っていた。ボクサーが負けたくなければ弱い相手とばっかり対戦すればいいことだ。しかし、一般に進学校の生徒というものは、 「俺は相手が強ければ強いほど燃える男なんだ」と『あしたのジョー』みたいなことを思う方が普通ではないか? 世界チャンピオンと対戦すれば、勝つこともあるかもしれないが、負けることだってあるかもしれない。負けたくなければ世界チャンピオンと対戦なんてしなければいいのだ。弱い相手と対戦すれば勝てるだろう。弱い相手と対戦したいのか? 世界チャンピオンとの対戦は避けたいのか? ・・・というと、そうはいかないから手ごわい相手を受けて落ちたのだ。チャンピオンを倒してやると思って戦った者は、落ちて「かわいそう」なんて言ってもらいたくもない。「『敗者には洟もくれてやるな』、それがこの世界のオキテなんだろ」と『あしたのジョー』で丹下段平のおっさんが言う場面があったが、「かわいそう」なんてむしろ言われたくない。しかし、自分が親でもおかしくない年齢になって、意識は変わった。そうではなく、難関校を受けて相当の努力をして通った人間は、相当の努力をしたとしても通ったのだから、いいじゃないか。しかし、落ちた人間といっても何の努力もしていないわけではない。落ちたとはいえ、それなりの努力はしてきたはずであり、親の年齢になると、「勉強せんもんが落ちるのはしかたがない。勉強するもんが落ちるのはかわいそうや」という気持ちになる。だから、菊川怜とかああいうよくわからん「東大出の女」という変な職業につきたいというような人間をエライとか言う人がいるが私はそうは思わない。東大のその学部学科を出た人間としての進路に行きたくないのなら、受けないでくれたら、誰かかわりに本当にその学部学科を出た人間としての進路に進みたいという人間が1人合格できてそこに行けたのに。エライのではなく、せっかく東大に合格させてもらって入学させてもらって卒業させてもらいながら「東大出の女」などという変てこりんな職業につく者は「すいません」の一言くらい言ってもらいたい気がする。
  またもや、話がちょっと横にそれてしまったが、「普通にやったら60点とれる」という人間が「必死にやって70点とった」として、合格最低点が75点だったとすると、「必死でやった」にもかかわらず不合格である。さて、それで、どうするか? 大学入試なら、「それなら、合格最低点が60点か50点かの所に行けばいいだろ」と考える人もいるのかもしれない。そう思うならそれもひとつの考え方かもしれない。しかし。「世界チャンピオンを倒してやる」と、いったん考えた者は、なかなか、そういう思考はできないものではないかと思うのだが、違うか?

  「普通にやったら60点とれる」者が「必死でやって70点とった」として、合格最低点が75点、まだ5点足らないとする。70点までとれたんだから、あと5点くらい簡単かというとそうではない。合格最低点の少し下から少し上までもっていくというのは、0点から60点までもっていくのとは別の大変さがある。「必死でやったら70点とれた」のならば、さらに必死でやったらどうなんだというと、もうすでに相当必死でやった後であり、さらに必死でやったとしても不足の5点をあげるというのは簡単ではないのだ。 では、どうするのか? あきらめるのか? あきらめたい人はあきらめればいい。 あきらめることができるかどうか?
  1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時のことだ。インテリアコーディネーターの試験の1次試験(学科)について、同じ営業所にいた「木南さん(仮名)」が、「インテリアコーディネーター(の1次〔学科〕)は、あれは試験の出題範囲が広いですし、広いから浅いかというとそうじゃなくて、けっこう深い問題もでますから」と、2度落ちて3度目に合格を目指していた私に言うので、この人、よく知っているじゃないのと思ったのだったが・・・、次に「木南さん(仮名)」が言ったのは「だから、あれは通りませんよ」と言う文句だった。なんか、えらいあっさりしてるなあ・・・と思った。「木南さん(仮名)」は同僚から「雑学の大家」「物知りおじさん」と言われ、「困った時の木南さん(仮名)」とも言われて頼りにされていた。「これ、どうすればいいのかなあ」と困った時、誰にきけば知ってるだろうか・・という時、「困った時の木南さん(仮名)」と言われていたように、「木南さん(仮名)」はよく知っていて、又、嫌がらずに教えてくれる人だったのだ。それだけではなく、「なかなか、便利でしょ」「重宝しますでしょ」なんて冗談か本気かわからない調子で自分で言っていた。(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は「住宅の営業に知識なんて関係ないでえ。むしろ、知識なんてない、こいつ、何を考えてるらあ~あ・・て感じの頭のないやつがええんや、頭のないやつが。お客さんは頭のないやつを喜ぶんや、頭のない、どうかしとるんやないかて感じの人間を~お! だから、ぼくなんかでも、学校出てないから、だから、気さくで人間味があってお客さんから好かれるんやあ~あ。住宅の営業はそういうもんなんや」と何度も言っていたが、違うと思いますよ。そんなこと言って居直らないで欲しいと思います。その点、「木南さん(仮名)」は「物知りおじさん」で「雑学の大家」で「よく知っている」と同僚の間で評判だったのです・・・が、そのわりに住宅・建築・インテリア・不動産関係の資格は何一つ取得できていない。大学もあまり知名度のない私立大学卒らしい。あれだけ、お勉強好きの人が、な~んでだ? て感じもしないでもなかったが、その理由がその一言でわかった。
  今は昔、1960年代前半、巨人 長嶋が阪神 江夏のストレートに三振がしてベンチに戻り、「ありぁあ、打てんわあ~あ」とつぶやいたところ、監督の川上が「きみには江夏のストレートを打つだけの給料を払ってあるはずだ」と言ったという。さらに、大洋 平松のシュートに三振してベンチに戻ってきて、「ありぁ、打てんわあ~あ」とつぶやいたところ、監督の川上が「きみには平松のシュートを打つだけの給料を払ってあるはずだ」と言ったという。この話はなんかの雑誌に載っていた話だが、それが何だったかは忘れてしまった。
  私なら、インテリアコーディネーター1次(学科)試験は「出題範囲が広く、かつ、広いから浅いかというとそうではなく、けっこう深い問題も出る」と実状を把握したとして、それで、どうすれば通るだろうか? ・・と考えるのだが、ところが、「木南さん(仮名)」は「だから、あれは通りませんよ」とさっさと断定してしまったのだ。こういうことを言うと、「木南さん(仮名)」は、きっと、「そりぁ、私は江夏のストレートを打つだけの給料だの、平松のシュートを打つだけの給料だのなんて、もらっていませんから~あ♪」・・と言うと思う。たぶん。
  「江夏のストレートを打つだけの給料」だの「平松のシュートを打つだけの給料」だのなんて、(株)一条工務店からもらってないというのは、それはたしかにそうなのだが、そんなこと言うのなら、私だって「江夏のストレートを打つだけの給料」だの「平松のシュートを打つだけの給料」だのなんてもらってない! 間違いなくずえったいにもらってない!・・・けれども、だ。どれだけ、給料をもらっているかいないかにかかわらず、やっぱり、「受験のベテラン」として、いったん、この試験を受けて合格するぞと思ったが最後、絶対に通らないと気がすまない。「落ちた」ということで終わらせるわけにはいかない・・・と考えるのが、「受験のベテラン」のサガなのか。矜持として通らないと気がすまない。
   「普通にやって60点とれる人間」が「必死でやって70点とった」として、合格最低点が75点だとして、合格最低点の少し下から少し上まであげるというのは、これはけっこう大変なことである。その大変なことをやるのが嫌ならあきらめればいいことだが、あきらめたいのか、あきらめたくないのか? もし、あきらめたくないのなら、そうなると、「ID野球 弱者の戦術」、「受験はアタマでやるもんや」ということになる。個々の問題についてはここでは深入りしないとして(それはまた別の機会にまわすことにする)、ともかく、それまで解けなかった問題を解けるようになる工夫をして対策をとって解けるようになったとすると、次回の試験ではその分だけ高い点数をとれる可能性がある。千代の富士は、北天祐の弟に腹筋板で頭を思いっきり殴りつけたとか暴力をふるって後遺症のでる怪我を負わせた上で国民栄誉賞を受賞したというけしからんところのある男だったようで、又、八百長が多い横綱だったらしいが力士として弱かったわけではないようだ。その千代の富士は、幕内に入ってしばらくの間、琴風にまったく勝てなかった。ところが、ある時、ひとつ勝って以来、毎場所、千代の富士が勝つようになってほとんど負けなくなった。相撲解説の親方が話していたのは、「相撲を変えましたね。これまで、体が小さいのに体が大きな力士がとるような相撲をとっていた。だから、琴風のように体が大きくて押すような力士にとってはもってこいの相手、とりいい相手だったのが、千代の富士はそれに気づいて、本来の体の小さい力士が体の大きい力士に勝つような相撲に変えましたね」と話していたのを覚えている。その改善によって、それまで負けていた相撲を勝てるようになった、毎場所1つ以上、白星が増えたということである。入学試験においても資格試験においても、それまで解けなかった問題を解けるようになったなら、その分だけ得点力はアップする。それに対して、野村のじいさんがどこだかに「清原が、素振りを何千回やったなんてのを聞くと、『あんた、いったい何やってんの』と言いたくなる」と書いていたが、それと同様、それまでと同じことを「さらに必死でやった」としても、それほど点数は上がらないと思うし、それこそ、「あんた、いったい何やってんの」ということになるのではないか。
   1970年代後半、大阪府高槻市にあったYMCA予備校高槻校で古文を教えていた山之内というおっさん(男。当時、50くらい? 北野高校卒→京都大学文学部卒→元天王寺高校教諭 らしい)が、「駿台や代ゼミにおったら東大に通るというものやないの。どれだけ勉強したかによるの」などと発言したが、そういう発言は予備校の講師に口にしてもらいたくないものだ。特に、YMCA予備校というのは予備校の中で授業料は高い方の予備校だったはずで、授業料が高い方の予備校の講師から「どこの予備校に行ったかは関係ないの」なんて言われたあかつきには、「カネ返せ!」とでも言いたくなる。 その頃、駿台予備校には「東大受験クラス」と「国立大学受験クラス」があったと思う。代ゼミには「東大受験クラス」と「国立大学受験クラス」「私立大学受験クラス」があったように思うのだが、もしも、東大に合格したいなら「東大受験クラス」に行っておいた方が単なる「国立大学受験クラス」に行く場合や「私立大学受験クラス」に行った場合よりも有利なはずであり、もし、有利でないなら「東大受験クラス」の意味がないことになるはずだ。YMCA予備校高槻校の「京大東大文系クラス」というのは「京大東大文系クラス」という名称をつけて募集したのであるから、当然のことながら京大の文系学部・東大の文科の試験問題に即した授業をして京大の文系学部と東大の文科の試験の対策をとらないといけないはずで、そうでないならば「看板に偽りあり」ということになる。その頃の東大の文科の試験で他の大学と試験問題の傾向が特に大きく違ったのは社会科(日本史・世界史など)で、私は北野高校の中間考査・期末考査や模擬試験、一般の「全国総合模試」といった名称の模擬試験では社会科(日本史・世界史)ではけっこういい成績をとれたにもかかわらず、東大の2次試験の問題はどうもうまく書けなかった。だから、私は「京大東大文系クラス」で、どうすれば「東大の社会科」の問題に適切な答案を書くことができるかという指導をしてもらえるよう期待してYMCA予備校高槻校京大東大文系クラスに入ったのだが、ところが、YMCA予備校は入学して最初の時点で「主事」というよくわからん職種で「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と1日最低3度は言わないと気がすまないという男でそれは学歴詐称の可能性が大きいと思われる藤井という男(当時、50くらい?)が「今年から共通一次試験が実施されて、これまで理系の人は社会科は1科目だけだったのが、理系の人も2科目受けないといけないことになって、社会科の先生が不足していますので、それで、社会科は日本史か世界史のどちらか1科目だけとします。〔この理屈もおかしいのだ。1977年度まで、共通一次試験が実施される前、京大・阪大・神戸大の理系学部は社会科は1科目で、京大・阪大・神戸大の文系学部は2科目だったが、共通一次試験実施後、共通一次試験では国公立全大学全学部が理科2科目・社会2科目を共通一次試験で受けなければならなくなった・・としても、YMCA予備校は共通一次試験実施後も理系学部では社会科は1科目だけしか授業は実施しなかったのであって,理系クラスでの社会科の授業の量が増えたわけではないのだから、共通一次試験が実施されて社会科を2科目受ける人が増えても、それが原因で社会科の講師が不足するはずはないのである。藤井の発言は実状に反したものであり正直さに欠ける。又、きっちりと京大・東大の文科の試験対策をとることのできる講師を用意できないなら「京大東大文系クラス」と名づけたクラスの募集をするべきではなかったのではないのかということになる。〕授業のない方の科目は教科書を読んでおいてもらえばできます」などと発言した。「教科書を読んでおいて」なんてそんなものは、これまでに何度も読んでる!!! それ以上のことをしている! それ以上のことをしてきたけれども、それでも、京大・阪大の問題を想定した北野高校の模擬試験や中間考査・期末考査や業者試験でも「全国総合模試」といった模擬試験の問題では悪くない成績をとれても東大2次の試験ではうまく書けずに苦労してきたのだ。「教科書を読んでもらえばできますから」とはデタラメもほどほどにしてもらいたいものだ。そして、授業のある1科目、「世界史」の授業もまた、東大の2次試験を想定した対策のものではなかったのだ。いったいどこが「京大東大文系クラス」なんだ? 「看板に偽りあり」と思ったら、京大東大文系クラスの同じクラスにいた人で「看板に偽りありだな」と思ったことを口にする人が何人かいた。

  ここまでを整理しよう。
(1) 「普通にやったら60点とれる」という人でも、何か心配事があるとか、家庭環境に問題があるとか、「普通にやる」ことができない悪条件があったなら、「普通にやったら」とれる点数をとれない場合がある。その場合には、「普通にやる」ことができる条件を回復させることが大事である。
  たとえ、20点とったとしても、「普通にやったら20点」の人が20点とったというのと、「普通にやったら60点とれる」人が心配事があったとか家庭環境が悪かったとかいった事情により「普通にやる」ことができなかったから20点とったというのでは状況が違うし、対応法も違う。
 (2) 「能力的にも人間的にも優秀な教師というのは、多くの人間が考えているよりもはるかに少ない」というのは事実である。高校の教諭や予備校の講師などに過大な期待(もしくは、その職業についている人間に対しての当然の期待)はしない方がいい。
(3) 「普通にやったら60点とれる」人間が、「普通にやる」ことができる条件を確保できたとして、「普通にやったら60点とれる」人間は「必死でやったら70点とれる」。
 「普通にやったら60点とれる」人間が「必死でやって70点とった」として合格最低点が65点なら合格だが、75点であったなら、「必死でやった」にもかかわらず不合格である。
  高校の教諭には3月の合格発表の後、合格した人間を称賛して不合格になった人間をけなす教諭がいるが、合格した人間はすべての面において成功していたわけでもなく、不合格だった者はすべての面において失敗していた・間違っていたわけでもない。「普通にやったら60点とれる人間が、必死でやって70点とれるようになったが、合格最低点が65点のところを受けて合格になった者と、合格最低点が75点のところを受けて不合格になった者の違い」であったケースもある。
  たとえば、京大を不合格になった人間でも阪大か神戸大を受けていたなら合格していたかもしれない人間はいるはずで、「合格した人間→すべて〇、不合格になった人間→すべて×」というのはおかしいはずなのだが、そういう判定にしたがる教諭がいる・・のだが(1970年代後半、北野高校の3年の時の担任だったO谷郁三などはそんなところがあった。その男〔もしくは、その女〕は「合格した者→ええもん、不合格になった者→わるもん」とすることで自分を「ええもん」の側に置こうとする軽佻浮薄な人間だということもあるだろう。高校の教諭をやっている人間にはそういう人間が多い傾向があると思う。ちっぽけな野郎だなあ・・と思うが、改めさせようと思ってもなかなか改まることはないだろう)、「アホは放っとけ」と考えるしかない。高校の教諭や予備校の講師に決して過大な期待(もしくは、その職業の人間に対しての当然の期待)をしてはいけない。
(4) 「合格最低点より少し下」から「合格最低点より少し上」に上げるというのはけっこう大変なことである。0点から60点まで上げるのと「合格最低点より少し下」から「合格最低点より少し上」に上げるのとでは、後者の方が大変かもしれない。
  1970年代後半、YMCA予備校高槻校の「主事」という意味不明の職種の藤井(男。当時、50くらい? 「ぼくは早稲田の政経出てるんだけどな」と一日3度は言わないと気がすまないという男だったがおそらく詐称と思われる)は、「現役の時やったらともかく、浪人したら、模擬試験で通った人5人・落ちた人5人なんてくらいの成績では受けてはいかん。最低でも通った人8人・落ちた人2人くらいの成績を模擬試験でとらなかったら受けてはいかん」などと発言したが、普通に考えて、東大とか京大とかに進学しようとする者の模擬試験で「通った人8人・落ちた人2人」なんてそんな成績なんて簡単にとれると思うか? そんなものすごい成績なんて簡単にとれるわけないだろうが! アホか。とらなくてよろし。1989年、藤田元司が巨人の監督に2回目に就任した時、「ボロ勝ち・せり負けは弱いチームのすること」と述べていたが、「ボロ勝ち・せり負けは弱い者のやること」。合格最低点より少しでも上の点数をより高い確率でとることができるかどうかが問題なのである。野村克也は南海ホークスでレギュラーとして出してもらえるようになっても、最初、2割5分くらいしか打てず、2割5分ではまたレギュラーを他の選手にとられてしまうかもしれない、3割打てば一流選手と言われるが、どうすれば3割打てるだろうかと考えた。2割5分の選手と3割の選手はどう違うかというと、100回打席に立って25回ヒットを打つ選手が2割5分の選手で、100回打席に立って30回ヒットを打つ選手が3割の選手だと考えると、あと5本多くヒットを打てば「3割打者」になれる・・と考えれば、100回すべてヒットを打たないといけないとすると大変だが「あと5本」なら工夫すればなんとかなるのではないかと思えた・・と書いていたが、入試においても「合格最低点を越えるまであと◇点」と考えれば、「◇点くらいなら工夫すればなんとかなる」と思えるところを、「模擬試験で最低でも通った人8人・落ちた人2人くらいの成績を取らなかったら受けてはいかん」などとそんなアホなこと考えたなら、通るものも通らなくなる。アホの言うことを気にしてはいけない。
(5) 「普通にやったら60点とれる人間」が「必死でやって70点とった」として、「さらにそれ以上に必死でやった」としても限度がある。すでに相当「必死でやった」人間がそれ以上「必死にやった」としてもあまり点数は伸びない。すでに「素振り」は相当やった人間がさらに「必死で素振りを大量にやった」としても、「あんた、いったい何やってんの」という結果になる可能性が十分ある。YMCA予備校高槻校がさせていたのはそれである。
(6) 「普通にやったら60点とれる人間」が「必死でやって70点とった」として、それでも合格最低点に足らないとすると、そこからは「ID野球 弱者の戦術」「野球はアタマでやるもんや」ならぬ「受験はアタマでやるもんや」。不足している分をアップさせるためには何をどうすればいいか考えてやらないといけない。「さらに必死で『素振り』を何千回」なんてやってもあまり意味はない。「あんた、いったい何やってんの」という結果になる可能性が小さくない。
・・・ということで、これを前段として、今回、「資格試験の方について、自分が合格できたのはいいが、それをひとに話す際に思慮がないという人の例と、ひとに資格試験を受けて資格を取得させようというのならそれなりに考えて言うべきではないのか、特に会社の経営者・使用者が従業員に言う場合は十分に考えて言う必要があるのと違うのか、という件について」を述べるつもりであったが、ブログの字数制限もあるので、今回はその前段の部分で止めて、もともとの「本論」は次回にまわすことにする。

  今回は前段の「入学試験・資格試験に合格するための基本論」を述べたが、すでにわかっている人からすると、「何を今さら」とか「そんなこと、すでにわかってるよ」と思うかもしれないが、わかっていない人にとっては相当役立つ内容のはずである・・が、わかっていなかった人には、これはなかなかもっともなことだとそこでわかる人もあれば、「見ても悟らず、聞いても理解しない」人もあるかもしれない。フリードリヒ=ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』の冒頭には「万人に与える書。何人にも与えぬ書」と書かれている。役立つと思った人は役立てていただければと思う。

  次回の「本論」の部分を完成させてから公開してもいいが、とりあえず、前段の「入学試験・資格試験に合格するための基本論」だけで公開することにする。 「本論」の方はできるだけ早い機会に公開したいと思うので、その際は、見ていただければと思う。
  (2019.6.10.)

  2019年5月から「元号」が「令和」になったようだが、
世間一般にあまりにも「れいわ」「れいわ」と言い過ぎ。
もううんざりしてきた。
だから、ここでも年月日の表記に「令和」は使用しないことにする。
  (2019.6.10.)

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