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社会科学系学部卒・男性のインテリアコーディネーター

主として、「インテリアコーディネーター」と住宅・建築・インテリア・不動産に関係する資格と資格試験に関係する内容

私はなぜ経済学部・商学部が嫌いだったか。及び、インテリアコーディネーターとは「三流一級建築士のアシスタント 兼 お茶くみおばさん 兼 子守女」の資格なのか?

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私はなぜ経済学部・商学部が嫌いだったか。及び、インテリアコーディネーターとは「三流一級建築士のアシスタント 兼 お茶くみおばさん 兼 子守女」の資格なのか?

[第3回]
   「社会科学系学部」というのは、大学の法学部、経済学部・商学部・経営学部といった学部のことを言う。 経済学部と商学部・経営学部がどう違うかわからない人がいると思うので簡単に説明する。
   東大(東京大)・京大(京都大)・阪大(大阪大)には経済学部はあるが、商学部・経営学部はない。 東大の場合、入学時は文科1類・2類・3類、理科1類・2類・3類として入るが、文科2類が経済学部に進むコースである。
   一橋大・慶應義塾大・関西学院大は経済学部と商学部がある。
   神戸大は経済学部と経営学部がある。
   大阪市立大は経済学部と経営学部と商学部があったと思う。
   早稲田大は、政治経済学部の政治学科と経済学科があり、別に商学部がある。
   慶應義塾大の場合、最初、「理財科」という学部名でできたものが、国立大学の学部名に合わせた名前にしないと「大学」と認められないという時期があって、その時に「理財科」が「経済学部」と名称変更した。 関学は最初は商学部だったのが経済学部に変わったらしい。 慶應は「理財科」が「経済学部」に名称変更したが、戦後、学部の定員を増やそうという話があった時に、それなら、いっそ、学部を2つに分けてはどうかということで、主として経済学を学ぶコースを今までと同じ「経済学部」、経済学も学ぶが経済学以外、商業学・経営学・会計学などの方に比重を置いて学ぶコースを「商学部」となづけたらしい。経済学部と商学部があって経営学部はないという大学、一橋大などは、これと同様ではないかと思うが、経済学はほとんど学ばないことになっている「簿記学校みたいな商学部」も「大学」によってはあるらしい。
   「商学部」では商業学が中心ととられるおそれがあるが、「経営学部」となづけてしまうと経営学が中心ととられるおそれもある。 経済学部と経営学部の2つがある大学、神戸大などは、主として経済学を学ぶコースが経済学部、商業学・経営学・会計学などの方に比重がある学部が経営学部ということではないだろうか。
    早稲田大の場合、経済学科が政治学科とくっついて政治経済学部になっており、日本の大学では珍しい方だが、慶應大の場合は法学部に法律学科と政治学科があって、法律と政治がくっついているが、早稲田大の場合は、法学部と政治経済学部政治学科、政治経済学部経済学科と商学部があり、政治学科は経済学科とくっついて政治経済学部になり、法学部は政治学科とは別の学部になっている。 政治と経済は互いに影響を与えあって変化していくので、政治学科は法律学科とくっついて1つの学部になるよりも、早稲田大のように政治学科は経済学科とくっついて1つの学部になる方が合理的かもしれない。
   東大・京大・阪大には経済学部はあっても商学部や経営学部はないが、商業学や経営学は扱っていないということではなく、慶應・一橋なら経済学部と商学部、神戸大なら経済学部と経営学部、早稲田大なら政治経済学部経済学科と商学部に分かれているものが、経済学部として一緒になっているということだろう。
   大阪市立大は経済学部と商学部と経営学部があったと思うが、これは、慶應・一橋や神戸大が2つに分かれているところが3つに分かれているということではないかと思う。
   よく、「大学はどこでも一緒や。どこに行くかが大事ではなく、そこでどれだけ勉強するかが大事」とかお気軽なことを無責任に言う人がいるが、特に、社会科学系学部の場合、同じ学部名がついていても、大学によってやっている内容が違う場合もあるので、あまり、無責任なことは言わない方がよいと思う。
   私は、大学に進学する時、法律学科以外の社会科学系学部は嫌だった。 なぜ、嫌かというと、他にやりたいことがあったからということもあったが、政治学科や経済学部、政治・経済というのは、その時、その時の政治の動きに左右される学問であり、私の場合、小学校の高学年の時に、連合赤軍浅間山荘事件というのがあり、中学校の時にロッキード事件、「ピーナツ」「ピーシズ」というのがあって、特に経済学部の場合、マルクス経済学を学んで人民の盾となって浅間山荘に立てこもるのか、それとも、近代経済学を学び、「ピーナツ」「ピーシズ」とトルストイの『イワンのバカと3人の兄弟』の話に出てくる「商人で布袋腹のタラース」のようにカネを追いかける人生を送ってブタ人間になるのか、どちらか選べと言われると・・・・・、なんか、どっちも気が進まないような気がして嫌だった。 この場合、「経済学部」だけではなく、「商学部」「経営学部」も合わせて「経済学部」と考えていた。 中学生や高校生の時、経済学部と商学部と経営学部がどう違うかなんかわからなかった。 高校の先生なんか、もっときっちりと生徒に説明してあげるべきだと思うが、高校の先生もわかってない人が多いのではないかと思う。 「経営学」とは、ブタ商人、ブラック企業の守銭奴社長が従業員にサービス残業させまくって、おのれの腹だけふくらませて、両腕いっぱいにカネと女をだかまえる方法、そういう経営者のテカとなって一般従業員の給料へつる技術(最近の落合みたい?)のことか・・・? みたいに思っていたのだが、マックス=ウェーバーなどは「経営学」というものを企業の経営に限らずもっと広くとらえており、資本制経済をとる国の企業の経営に限らず、役所や公共団体の経営、労働組合の経営、政党の経営、さらには社会主義国の経営といったものも「経営」の範囲に入れており、考えようによっては「運営」といった方が妥当かもしれない対象を「経営」としてとらえている。大企業で労働組合の役員をやった人間がその後に会社の上の役職につく会社があるというのは、労働組合の「運営」の能力がある人間は使用者・経営者の側でも欲しい人材であるという理屈から考えれば理解できるとも言える。「労務管理論」として、アメリカ合衆国におけるホーソン工場の実験であるとか、人間関係論であるとか、人の労働意欲はいかにして起こるのか、働きやすい職場とはどういうものかといったことを考えるというのは、「銭や銭銭銭なにや」という守銭奴・ブタ商人の社長が両腕いっぱいにカネと女をだかまえる方法を考えるというのとは異なる。 資本家が労働者をいかに効率的に搾取するかという経営学もあるかもしれないが、それを批判するのもまた経営学である。
  私の場合、中学校や高校では数学はけっこう好きだった。 この場合、数学の点数がとことんいいとかいう話ではなく、たとえば、吉田洋一『零の発見』(岩波新書)とかそういった本を読むのが好きで、そういった思考が好きだったのだ。 北野高校の2年の時の担任の女性教師の旧姓S(当時、20代)が「あなたは“文系”(経済学部・商学部・経営学部)よ」 と私に言ってしかたがなかった。 私が、経済学部・商学部・経営学部といった学部だけは首をもがれても嫌だと思っていたのに、この人はなんで人が絶対に嫌だという所に行かそうとするのだろうか、高校の先生、プロが言うことであり、それも大阪で一番の高校の先生が言うことだから何か理由があるのだろうか・・・とかその頃はアホなことに考えたが、そうではなく、単に、あの女は、親と子(生徒)とが考えが食い違う場合、親の側に加担した方が高校教諭としての処世術として有利だと考えただけだったようだ。あの女のおかげで私は人生を誤った。その時、その女性教諭が「文系よ」と主張した論拠として、「理科の成績と社会科の成績を比べると社会科の成績の方がいい」というのを論拠として主張したのだが、そんないいかげんな理由で進学先を決めるべきではない。
  「数学がけっこう好き」というタイプは、「文系」(経済学部・商学部・経営学部)および政治学科に向いているか向いていないかというと向いていないと私は思う。 今はどうなっているかわからないが、私が高校を卒業するころ、した頃、慶應義塾大の経済学部の入試の科目は英語と数学だけだった。東大や京大に行くつもりで何科目も勉強してきた者からすれば、あほくさくってそんな所、行けるかあ! て感じがするのだが、なぜ、慶應の経済学部は数学と英語の2科目だったのか。森川英正『日本経営史』(1981.1. 日経文庫)には、《 森村組の条件は、「第一健康、第二英語が達者なこと、第三簿記が出来ること」の三つでしたが。村井(村井保固)は、「語学と簿記は不得手の方です」と言って、福澤(諭吉)から「馬鹿野郎、実業家を志して居るものが、其辺の支度が出来ていないとは言語同断だ」と大喝され、悄然とします。・・・・》という話が出ていますが、そこで福沢が語学は大事だと言っていたのは今もそうで、英語は試験科目としてはずせないとし、そして、近代経済学は数学を使用するということで数学が試験科目にあった・・・ということかもしれませんが、高校までの数学と大学の数学はかなり違いがあるようにも思いますが、その一方で慶應の経済学部では国語は試験科目にないというのは、文学は経済学部においては重要性は低いという認識がそこにあるのではないかと思います。社会科も商学部では1科目、日本史か世界史を選択としてありましたが、経済学部ではありませんでした。商学部の場合は、英語と数学と社会科1科目で商学部でも国語はない、ということは、人並みに日本語が読み書きできるレベルでいいという判断ではないかと思うのです。その考え方がいいのかどうかわかりませんよ。しかし、慶應の場合、試験科目で見ると、そうなっていたのです。ところが、社会科や国語でそれなりの成績をとっているから「あなたは“文系”よ」とか言って、国語や社会科をそれほどは重視していない学部に行かそうとするというのは、無茶苦茶もいいところだったと思います。
   逆に、《数学はやはり、ブルッジョア的思考の影響のもっとも少ない科学である。》(ヴィルヘルム=ライヒ『階級意識とは何か』久野収訳 1974.11.三一新書)わけで、論理的に正しいものを正しいと言いたい人間、理論的に論拠をあげて話をするのが好きな人間は、数学は魅力を感じる学問であり、そういう人間にとって、近代経済学というのは気色の悪い、フケツな学問と言うに値しない糞みたいなもの・・・という印象を受けるもの・・・でした・・・・が、そういうものが好きだという人も世の中にはいたのです。 慶應の経済学部や商学部、あるいは政治学科などに行きたがる人間、行った人間には、そういうブタ人間になりたいなりたいなりたいという人間が多かった。 だから、そういう人はそういう所に行けばいいと思うが、嫌な人間を無理に行かせることはないと私は今も思う。
   嫌だ嫌だと思いながら、慶應義塾大に入学してしばらくした時、日吉台学生ハイツの食堂で、大阪の桃山学院高校卒で慶應大の商学部に入ったという I上とそのつれ2人の計3人が、少し離れたテーブルにいて話をしているのが聞こえた。彼らが何を話していたか。「慶應の名前さえ出せば、女はいくらでも手に入る。今度、電車に乗って、女子大生がいたら、慶應の学生証を見せて、『この紋所が目に入らぬか』とやってやろうか」などと話していたのだ。そのバカ学生3人。 人によっては「そういう人間が社会で役に立つんだ」とかいう連中が。 なさけない奴らだと思った。 私は小学校の1年から真面目に努力してきたのに、ああ、神さま、どうして、私はこんなアホと同じ大学に行かされなければならないのでしょうか、と思った。 こいつら、大学の名前以外にとりえないのか? 「そういう人間が社会で役に立つんだ」とか言う人間が慶應には多いのだが、私は、「社会で役に立つ」かどうか知らんが、役に立とうが立つまいが、そういう男も、そういう男がいいという女も嫌いなのだ。 慶應の学校の名前を出せば、そういう男がいいと思う女が寄ってくるなら、寄って来てもらいたくないのだ。あっち行ってほしいのだ、そういうヤツは。男であれ、女であれ。・・・で、そういうタイプの男というのは「慶應タイプ」であり、そういう男のことを「思考が柔軟な慶大生」とか「塾風を身に着けている」とか「福沢精神」とか「独立自尊」とか「ギャルにもてもて」とか言うらしいのだ・・・・が、1980年代、何新聞だったか忘れたが新聞に載っていた話だが、ネパールだったかで麻薬を資金源として活動していた政治団体が「毛沢東派」を名乗っていたことがあって、中国共産党は「麻薬を扱う団体が毛沢東の名前を使用するのはやめてもらいたい」と抗議したということが載っていた。福沢諭吉の著書や伝記を1冊も読まず、福澤諭吉の人生に逆行するような言動を「福沢精神」と言うのはやめてもらいたいと私は思ったのだが、福澤諭吉の発言や行動と逆行すること、関係のないことを「福沢精神」だのと言うのが好きな人間が矢鱈と遠い大学が慶應義塾だった。そういうのを批判すると、「おまえはそれでも慶大生か」とか「慶應に行ったなら慶應の人間らしくしろ」とか言われてしまうのだが、一時期、ソ連と社会主義を好意的に見ていたアンドレ=ジッドが実際にソ連に行って失望して、そして、「スターリンが常に正しいと言うのであれば、スターリンがすべての権力を持っているというのと同じではないか。スターリンがすべての権力を持つソ連においては、たとえ、レーニンであっても、粛正され牢獄に入れられるかシベリア送りにされるおそれがある」といったことを語っていたが、現在の慶應義塾においては、もしも福澤諭吉が学生として入学したとしたら、福澤諭吉ですらも、「おまえ、慶應的じゃないぞ」「慶大生なら慶應らしくしろよ」だの「もっと、福沢精神を身に着けろ」とか言って攻撃されるのではないかと思ったし、今も思う。 電車で女子大生に慶應の学生証をつきつけて「この紋所が目に入らぬか」とやってやろうとかいう男が「福沢精神」か、それが「独立自尊」なのか。 そういうアホを見て嫌悪感を覚える人間の方が「福沢精神」か、「独立自尊」かというと、慶應の人は、当然前者だろうが、と考えるらしいのだ。 だから、私なんかはそういうのは合わないので、だから、慶應タイプの大学の経済学部・商学部・経営学部は嫌だったのだ。

   そういう経済学部・商学部・経営学部は嫌で嫌でしかたがない、特に「慶應の経済」と「神戸大の経済」てのは、考えただけでも気色悪い。 自分が行くのが嫌なだけでなく、行った人間なんか近くに来てもらいたくない。ジンマシンが出てきそう! て感じの人間だったのだが、そういう人間が、嫌だ嫌だと思い続けて、ともかく、その日本で一番嫌な大学の首をもがれても行かされたくない学部を卒業した。
   卒業してみると、そこで身に着けたものもあり、役立つと思えるものもあった。

   で、片方で私は小学生の時から法律の本を読んでいた人間だった。 もしも、人文科学分野・自然科学分野ではなく社会科学分野の大学学部に行くならば、法学部法律学科がいいと思っていた人間だった。 心理学・心身医学などに関心があった人間で、社会科学系なら法律学科がいいと思っていた人間が、いやいや商学部に行って卒業したという人間で、いやいや行ってともかく「大卒」になるためだけに卒業した学校だったが、卒業してみると、商学部の専門科目で価値があると思えるものも見えてきた。 慶應の三田で「労務管理論」を担当されたS教授が、大学の勉強は、文学・哲学・宗教学・歴史学・人類学といった一般教養的なものを7割、商学部の専門科目は3割くらいの割合で勉強すればいいのではないかと思う。労務管理論なんて卒業して会社に勤めてからの方がわかりやすいくらいだ、といったことを話されたことがあったが、そういう面はあるかと思う。私の場合、意図的にそうしたのではなく、結果としてそういう結果になってしまったのだが、「(商学部+法学部+哲学・心理学)÷3」みたいな感じで卒業した。

   そういう「商学士」だが、もともと、国立大志向であり、自分では自然科学分野も人文科学社会科学分野と同等の能力があるという意識でいた人間が建築業の会社に勤めたのだが、(株)一条工務店で、営業本部長から、インテリアコーディネーターの資格をとってもらいたいと言われて、努力と苦労の末、取得できた・・・・が、「(商学部+法学部+哲学・心理学)÷3」で、「自然科学と社会科学人文科学に均等の能力ががある」という意識の者が取得したインテリアコーディネーターで、経済学やマーケティングはインテリアコーディネーターの基礎にあるし、文化史や美術・美術史はインテリアコーディネーターよりも前から存在する。 ロスタンの『シラノ=ドゥ=ベルジュラック』に「詩人で名剣士、科学者で、しかも、音楽家」というシラノについての評があったが、私はそれになるつもりでいた人間だったが、どこでどう転んだのかこんなになっちゃったあ~あ・・・といっても、そういう基があった者なので、私にとっては建築は絵画や彫刻とつながり、オペラ・オラトリオや歌曲ともつながっている。

   (株)一条工務店の営業本部長のA野T夫は私にインテリアコーディネーターをとってくれと言い、それに応えてきっちりと取得したにもかかわらず、せっかくの「慶應大商学部卒のインテリアコーディネーター」を会社で生かそうとしなかった。 A野は「学歴コンプレックスの塊」と従業員の間で言われていたが、そういう人には生かす意思もなければ能力もなかったのかもしれない。
  (株)一条工務店を退職後、慶應大商学部卒で経済学やマーケティングなどの知識・認識がある「インテリアコーディネーターにしてキッチンスペシャリスト。2級建築施工管理技士でもある」、「詩人で名剣士、科学者で、しかも、音楽家」のインテリアコーディネーターを活用してくれる会社はないかと捜したのだが、その結果の一例をここで、ちびっとだけ紹介しようと思う。

   今回の題名からすると、「前置き」(題名そのものでない部分)がかなり長かったかもしれないが、お許し願いたい。
   職安の求人票で見た「インテリアコーディネーター」の募集に履歴書・職務経歴書などを送ったところ、相手の会社の担当者が電話をしてきてくれた。どう言われたかというと、
「 今回、私どもの会社とある大手さんとの間で共同で事業をやろうということになりまして、今回、その為の募集だったのです。 当初、インテリアコーディネーターは女性でと考えていたのですが、私は〇〇さんの履歴書を見て、男性でもこういう人もいいのではないかと思ったのです。 しかし、大手さんの方に意見をきいてみますと、インテリアコーディネーターというものは、一級建築士のアシスタントをしていただいて、お客さんにお茶出しをしてもらって、お客さんの子供の相手をしてもらう人、と考えているので、インテリアコーディネーターは女性でないといけない、ということでした。 大手さんの方がそう言われるもので、申し訳ありませんが、今回は、こちらから辞退させていただきたいと思います」と、丁寧にお断りの説明をいただきました。
   ・・・・てことは、その「大手さん」の認識としては、何かい?  インテリアコーディネーターというのは、三流一級建築士のアシスタントで、お茶くみおばさんで、子守女だ・・・と。そういうことか・・・・???(=_=)(-_-メ)(=_=)(-_-メ)(=_=)(-_-メ)
   「インテリアコーディネーター」というのは、「『三流一級建築士のアシスタント』兼『お茶くみおばさん』兼『子守女』」 の資格だったのかあ~あ!!!!!・・・???
    ・・・そうなのだろうか? インテリアコーディネーターって「三流一級建築士のアシスタント 兼 お茶くみおばさん 兼 子守女」の資格だったのか???  私は違うように思うんだけどなあ~あ・・・・、そんな資格のためにあれだけ大変な努力をしたのか、あれだけ苦労して工夫して努力してきたのか・・・・。 なんだかなあ~あ・・・・・。 で、「その認識は違うと思いますよ」と言いたい気持ちもないではないのだが、応募する側が採用する側に向かって言うわけにもいかないし、言ってもしかたがない・・・と思うし、その電話してきてくれた人自身の見解ではなく「大手さん」の担当者がそう言ったらしいので・・・・。 しかし、なんだか・・・・。 そんな認識の人間がいるから「三流一級建築士」がズに乗るんじゃないのお~お!?!?!? とも言いたい気もしなくはなかったが・・・・。
   ・・・なんだかな・・・。  インテリアコーディネーターの評価についての疑問はまだまだ経験しているので、このブログで、少しずつ、ちびちびと述べていこうと思う。 よろしく。
  (2016.11.28.)

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