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社会科学系学部卒・男性のインテリアコーディネーター

主として、「インテリアコーディネーター」と住宅・建築・インテリア・不動産に関係する資格と資格試験に関係する内容

「日東駒専」以下の建築屋の経営者に使える従業員は技術系学部卒が限度。社会科学系卒・男性のインテリアコーディネーターは「コストと利益を比較して」割が合わない

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「日東駒専」以下の建築屋の経営者に使える従業員は技術系学部卒が限度。社会科学系卒・男性のインテリアコーディネーターは「コストと利益を比較して」割が合わない

[第6回]
   日本の「資格」で、その資格を持っている人間でアホの多い資格というと、一級建築士と弁護士の2つが双璧ではないかと私は思う。 たしか、小学校の時だが、どの先生だったか忘れたが、「物は使えば使った分だけなくなる。但し、頭は使えば使うほど増える」とおっしゃったのを覚えている。 だから、一生懸命、勉強しなさいよ、というお話なのだが、増えるかどうかはともかく、小学校から中学校くらいに学習は、そういった学習をしてきた人間とそうでない人間なら、小学校から中学校くらいの学習が身についている人間の方が、専門的なものも学習しやすい、ということはあると思う。小学校から中学校にかけての学習をしてきていない人間の方が、頭に入る容量が残っているので、それ以降の学習がやりやすいということはないでしょう。
   しかし、弁護士という職種についている人を見ると、弁護士に関しては、実際のところ、司法試験という難関試験に合格できるまでに頭の容量をすべて使い切ってしまって、その分だけ司法試験に出題されないようなもの、世間一般の人間なら「フツーの人間」が理解できるようなことを理解できなくなっているのではないか。 司法試験に合格するために脳みその大部分を使ってしまって、それ以外の問題については世間一般よりもはるかにアホと違うのか、というような弁護士が少なくないように見受けられる。 そして、「着手金として〇日までに◇◇万円振り込んでください」と言って振り込ませて、振り込んだと思うと働かない、という「振り込め詐欺」みたいな弁護士が多いのではないか。弁護士こそ「振り込め詐欺」と違うのか、という印象を私は受けている。
   一級建築士というのは、その資格を取得して悪いということはないのだが、「いっきゅうけんちくしい~い」と言えばひとは言うことをきく、という間違った信念を持っているビョーキみたいなヤツが多すぎるように思うのだ。 そんなことなら、そんなビョーキみたいになってしまうくらいなら、そんな資格なんか取得しない方がいいくらいだと思う・・・のだが、逆に、「いっきゅうけんちくしい~い」と言って「ひとに言うことをきかす」ということを、やりたいやりたいやりたいやりたいというアホがまた、建築業界には多いようなのだ。

   なんで、そういうビョーキみたいのが多くなってしまったのか。 これは、大学の建築学科が増えすぎたということと関連があると思う。 かつては、大学の建築学科というのはそれほど多くなかった。 旧帝大系国立大学と国立大学でも地方国立大学の場合は工学部があって建築学科がある大学とあとは東京芸大では美術学部に建築学科があるくらい、私立では早稲田と日大に建築学科があったが、一般に、ある程度の評価の大学である場合が多かった。 ところが、杉山英男『地震と木造住宅』(丸善)によると、大学の建築学科は、かつては、建築の「エリート」を養成する所で、大工職人とその「エリート」との中間の位置の仕事をする人間を養成する機関として設けられた建築の専門学校のうち少なくないものが、形式上、「大学」になり、また、「大卒」になりたいと思ってなれなかった親が自分の子供は「大卒」にならせたいと思うその気持ちに答える・・というのか、つけこむというのかで設立された私立大学がいっぱいできて、建築学科もいっぱいできた・・・結果、大学の建築学科というものは、あんまり、「エリートを養成する所」ではなくなった。
   そして、卒業すると二級建築士の受験資格を得て、卒業して2年の実務経験で一級建築士の受験資格を得ることができる学校もゴマンとできてしまった。 卒業すると二級建築士の受験資格を得ることができて、卒業して2年経つと一級建築士の受験資格を得ることができる学校というのも、入学するのは決して「難関」ではなくなった。 試験会場に行って氏名と受験番号さえ書けば合格できる「大学」で建築学科を持つ「大学」がゴマンとできてしまった。
   ところが、そういう「大学」の卒業者に限って、「ぼく、学校でてますから」とか言いたがる、もしくは、口に出して言わなくてもそういう態度を取りたがる。ひとつには「一流大学」卒の人間で一級建築士を取得した人の場合、「いっきゅうけんちくしい~い」てやつ以外にも「売り」にするものがあるだろうし、大学を卒業してしばらく会社勤めをしてみると、学校の名前などというものは、どんな学校であれ、常に出した方がいいとは限らないという経験をすることがあると思うのだが、五流以下大学の建築学科卒とか建築専門学校卒で「いっきゅうけんちくしい~い」とかいうやつを取得した人にはそういう経験をしたことがない人がいるのではないか。

   それで。 私は、「インテリアコーディネーター」という資格について、どうも、世間で適切に理解されていないように思うのだ。 このブログの何回か前の稿で述べたが、職安の求人票にある会社が「インテリアコーディネーター」として募集していたものに応募したところ、その会社とある「大手」の会社で共同で事業をやろうとしていて、そのための募集で、その「大手さん」の担当者の考えでは、「インテリアコーディネーター」というのは「一級建築士のアシスタントで、お客さんにお茶出しをしてもらう人で、お客さんの子供の相手をしてもらう人」と考えている! ということだったということがありました。 前の稿でも述べましたが、「インテリアコーディネーター」というのは、「三流一級建築士のアシスタント 兼 お茶くみおばさん 兼 子守女」の資格なのか???!!!???  ひっでえ~え!!!
   2003年に11年余り勤めた(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ を辞めた後、せっかく取得した資格ですから、それを生かせる職場に就職できればといったことを考えたのですが、キッチンスペシャリストhttps://www.interior.or.jp/ks/ については、取得は難関であるにもかかわらず、認知度が低い。 特に、キッチンメーカーですらこの資格を評価しない。 インテリアコーディネーターhttps://www.interior.or.jp/ic/ は今日においては、その名称は知られているけれども、どういう内容のものかについて正しく理解されていない。 特に、「女性の資格」と見られているところがあって、男性で取得しても、評価されにくい、というところがありました。
   但し、人には資格以外にも属性はあるわけで、私は慶應義塾大学の商学部を卒業した人間として、(株)一条工務店で営業本部長からインテリアコーディネーターを取得してもらいたいと言われて取得したわけであり、高校生や大学生であった時、経済学だの商業学だのといったものが実際に勤めて役に立つものであるのかないのかなんてわからなかったけれども、会社という所に勤めてみて、まず、それぞれの分野についての細かい知識というものがどうという話ではなく、まず、商品というものについて、顧客・消費者は何を求めているのか、住宅であれば、壁があって屋根があってというものを求めているのか、そうではなく、そこで家族が団らんする場所というものを求めているのか、なんらかのステータスのようなものを求めているのか・・・といった思考というのは、私は慶應の学生であった頃、そんなことは、考えて当たり前のことであって特別のことではないのではないかと思ったのですが、実際に勤めて見ると、それを「当たり前」と考えるのは慶應の商学部や経済学部の人間の発想であって、私が勤めた三流以下企業においては決して「当たり前」ではなかった。 それを実感してみると、私の場合は、実際問題として、気が進まず、嫌々行ってしまった学校ではあったのだけれども、卒業してみると、そこで商業学・マーケティングなどの科目を学んできた人間とそうでない人間との差は大きいということは疑う余地はないと思うようになった。 だから、そういう「経済学・商業学・マーケティングなどの認識のある人間が取得したインテリアコーディネーター」というものを評価してもらえないかと考えたのだが・・・・。
   男性でインテリアコーディネーターを取得する人には、大学の建築学科を卒業した人、建築専門学校を卒業した人で、一級建築士を取得して、二番目の資格としてインテリアコーディネーターを取得したという人がいます。 こういう人の場合、「プラスアルファ」として評価されるようです・・・し、一級建築士の資格試験に出題される内容よりも、インテリアコーディネーターの試験に出題される内容の方が、戸建住宅については関係が深いですから、「ぼく、◇◇の資格もってますぅ」と言うことで人からどれだけ評価されるかなどということよりも、その資格を取得する過程で学習するものがあるので、取得してよいと思います。
   男性の場合、「建築学科卒+一級建築士」か「建築学科卒+二級建築士」にさらにインテリアコーディネーターをプラスして「建築学科卒+一級建築士にしてインテリアコーディネーター」か「建築学科卒+二級建築士にしてインテリアコーディネーター」というのは、プラスの評価を得るようです。
   ・・ところが、社会科学系学部、特に「経済学部・商学部卒で経済学・商業学などを学んできた経済学的発想・商業学マーケティング的発想を身に着けた上でのインテリアコーディネーター」というのは、あんまり、評価してもらえないみたいです。 ときどき、気分悪くなりますけれどもね・・・。
   なぜかというと、ひとつには、建築業界でも、ビル建築のゼネコンさんなどは別かもしれませんが、戸建住宅建築業の会社というのは、たいてい、「高卒中卒の人の勤め先」なのです。(株)一条工務店なんぞは、最近は宮地なんとかいう慶應大学卒の「お飾り」「影武者」の社長をどこやらから連れてきていますが、あの人は、私が11年余り在籍した時にはいなかった人で、私のように(株)一条工務店に入社して一線の仕事から苦労して努力して勤めたという人間ではなく、どこやら別の会社に勤めていた人がすでに高齢になってから、「お飾り」「影武者」の社長として呼んできてもらったという人でしかない。 初代の社長の大澄賢二郎が中国の古典『水滸伝』が好きだったということですが、『水滸伝』の主要人物の宋江(そうこう)というのは、大澄賢二郎みたいな人間で、おのれがトップにならず、二番目とかの役職にいてトップをあやつろうというのが好きな男、人によっては「なんか、しみったれた、男らしくないみみっちい野郎だなあ」という印象を持つ男だったのです。宋江が梁山泊に入ってしばらくは晁蓋(ちょうがい)という男が首領で宋江が副首領だったのですが、晁蓋が敵の矢に倒れて死亡すると、副首領の宋江が首領になるか、なりたくないならそれまでから梁山泊で働いてきた人間で誰かを推薦すれば良さそうなものですが、どちらもせず、蘆俊義(ろしゅんぎ)という男をよそから引っ張って来て首領にならせておのれは副首領としてあやつろうと画策するのです。なんか、それとよく似たことをしよるわけです。そもそも、大澄賢二郎という人は、1996年8月、消費税があがる直前、まさにかき入れ時。契約はいつとるの? 今でしょう~お! というまさにそういう時に、大澄賢二郎の息子で(株)日信という関連会社の社長に名目上なっていたらしい大澄隆史がつきあっていた同棲していたこともある女性を殺して懲役20年の判決を受けたということがあり、「刃物で女を刺し殺し官憲に追われ逃げる」というまさに『水滸伝』の宋江(そうこう)みたいな行為をしたわけで、まさに「梁山泊の精神」を実行したわけですが、スポーツ新聞とか週刊誌とかに「危険な20代」とかけっこう書かれ、その際に「社長を辞任した」はずだったのですが、辞任したというわりにはその直後においても会社に出てきて、従業員に「〇月◇日までに、▽▽棟は取ってもらわないと困る」とか発言したりしていたというのですから・・・、なんか変なの・・・てところで、社長を辞任してもその後も会社に発言したいのなら、会長か相談役か何かになっておけばいいと思うのですが、それもならずに、それでいておかまいなしに、直接、従業員に指示していたというのですが、日本の商法から考えて、社長でも会長でも相談役でも何でもない人が従業員に直接指示するということは、それは認められることではないと思うのですが、「なんで、いかんのじゃあ」とかいう意識だったようです。 その大澄賢二郎さんも「高卒」で、営業本部長のA野さんは、本人は「定時制高校に行っていた」と自称していたのですが、従業員の間の通説としては「卒業できていない」そうで、「中卒」であり「学歴コンプレックスの塊」だと言われていました。その結果、私が勤めていた頃、(株)一条工務店の商業登記簿に載っている役員は全員が高卒か中卒の人でした。 そういう会社に勤めてみますと、そういう会社では、「人間を学歴で差別してはいかんだろうが」という「鉄則」があるのです。 しかし、中卒、及び、中卒と変わらない高卒の人に、「一流大学」卒の人間と同じことができると思いますか?  そこで、技術系の分野、建築屋の場合、大学の建築学科卒の人間については「学歴」を認めるのですが、社会科学系の分野のついては、「学歴で差別してはいかんだろうが」を適用するのです。 ですから、「営業系」というのは、私は4年制大学の法学部・経済学部・商学部・経営学部卒の人の勤めるコースと思って入社しましたが、そうではなく、(株)一条工務店では中卒か高卒の人の勤める場所だったのです。 そういう部署においては、中卒高卒の人というのは、理由もなくエライのです。 それに異を唱えてはいけないのです。 そんな会社でした。
   (株)一条工務店に限ったことではなく、「そんな会社」は日本には他にもあるのではないでしょうか。 私は「そんな会社」にばっかり勤めてきましたから、そして、疲れました。実際のところ、「そんな会社」に勤めると、疲れます。
    たとえば、 「マーケティング」は「マーケティング」です。「マーケッティング」ではありません。 でも、「そんな会社」では 「マーケティング」と言うと怒られるのです。 「マーケッティングと言え」とか言って怒られるのです。
 「責」は法律用語としては「せめ」と読みますが、2002年に(株)一条工務店の工場部門の「責任者」になった高橋という片方でぬけた感じで片方でずるい男は「せき」と読むのです。「それは、法律用語では『せき』ではなく『せめ』と読むのですよ」と教えてあげたいような気もするのですが、教えると怒るでしょうから、せっかく親切で教えて怒られたのではあほくさいので黙ってました。たぶん、今でも「せき」と人前で何度も読んでいることでしょう。
結論を言いますと、(株)一条工務店なんて会社は、マーケティング」を「マーケッティング」と読み、法律用語の「責(せめ)」「せき」と読む人の会社なのです。
 まだ、 「バブル経済」「バルブ経済」と言われなかっただけましと喜ぶべきかもしれませんね。一般に、「会社のエライ人」って、「バルブがはじけたからなあ」とか大威張りで言いますでしょ。だから、私は高校から大学に入る頃、会社ではなく会社以外の勤め先に勤めたかったのです。「バルブがはじけたからなあ」とか言うような人にお仕えして人生を終わらせるというのは人生の無駄遣いに思えたのです。
   ビル建築をやっている「大手」のゼネコンさんなどの建築屋は違うかもしれませんが、私が勤めてきたような戸建住宅の新築の建築業やリフォーム屋とかですと、たいてい、社長は高卒か中卒ですし、そういう人が経営する会社で、「大学の商学部で経済学やマーケティングを学んできた経済学的発想・マーケティング的発想を身に着けたインテリアコーディネーター」というものを評価してもらおうと思っても・・・・・・、結論として相当難しい・・・みたいでした。
   関西人は断る時に「それは難しいですね」といった言い方をするのですが、(株)一条工務店の福島県いわき市に勤務した時、会津若松で建ててくれたお客様が、言われても無理な要求をされたことがあって、「それは難しいですね」と言うと、「難しいなんて言わないで何とかしてくださいよ」と何度も言われ、これだけ言っているのにどうしてこの人は理解しないんだと困ったことがありましたが、関西人にとっては「難しいですね」というのは「無理です」の婉曲表現なのですが、東京以東・東京以北の人にとっては、「難しいなんて言わないで何とかしてくださいよ」ということだったのかもしれません。大阪生まれで東京人と結婚した姉が、結婚後数年して「東京の人に『それは難しいですね』なんて言ってもだめよ。東京の人は『難しいですね』と言われるといいということだと思ってしまうよ。『絶対にだめです。どうしても無理です。絶対にだめ。だめなものはだめ。天地がひっくりかえってもずえったいにだめ、だめ~え! だめなものはだめ、だめ、だめ。ずえったいにだめ!』とそこまで言っても、それでもわかるかどうかよ。こっちの方の人は」と私に言ったことがありましたが、そんなところがあったようです。「大学の商学部で経済学やマーケティングを学んできた経済学的発想・マーケティング的発想を身に着けたインテリアコーディネーター」というものを評価してもらおうと思っても・・・・・・、中卒か高卒の社長の会社でそれを評価してもらおうというのは、結論として相当難しい・・・みたい、という「相当難しい・・・みたい」は「難しい」も「みたい」も婉曲表現としてのものであって、そうでない可能性が残っているという意味ではない、と考えた方がよい・・・・みたい。
   どうも、高卒か中卒の社長の建築屋に勤めると、技術系学部卒の人間というのは、その学校で学んできたということを認めてもらえるようですが、社会科学系学部卒で勤めると、「中卒と一緒の扱いにするのが平等」という扱い、というよりも、いかにして、中卒や高卒の方の機嫌を損ねないかに苦労する・・ということになるようです。 私はそんな会社にばっかり勤めてきた人間であり・・・・、そして・・・、疲れました。

   「日東駒専」という言葉があるのを知っていますか。 「日大・東洋大・駒沢大・専修大」のことで、東京圏の私立大学で、あんまり成績がよくない人間でも入れる大学のことでしょ・・・と思う方もあるようで、そちらの意味もあるようです。 「日刊ゲンダイ」だったかに載っていた話では、東京圏の私立大学では、「早慶」が一番上にあってその下に「JARK」(上智・青山・立教・国際基督教大学)というのがあるという説と、「早慶上智」がトップにあってその下に「MARCH(マーチ)」(明治・青山・立教・中央)というのがあるという説があり、そのさらに下に「日東駒専」(日大・東洋大・駒沢大・専修大)という誰でも入れる学校というのがあるという話だが、最近では「日東駒専」のまだ下に「亜拓大東帝国」というなんか怖そうな名称のグループができて、それは亜細亜大・拓殖大・大東文化大・帝京大・国士館大or国学院大? らしいのですが、ところがさらにまだその下に「・・・江戸桜」とかいうのができて、江戸川学園大と桜美林大となんとかとなんとかとでていましたが、その「なんとか」はもう忘れた。 ともかく、「日刊現代」のその記事は、かつては「日東駒専」というのは「氏名と受験番号さえ書けば合格できて、カネさえあれば入れるアホ大学」という評価だったが、最近ではそれよりまだ下とかまだまだ下とかができてきたので、評価が変わってきたというものだった。
   それで、「亜拓大東帝国」とか「・・・江戸桜」とかの話は横におきまして、「日東駒専」という言葉のもう1つの意味ですが、この場合、「日大・東大・駒沢大・専修大」と「東」は東京大学で日東駒専なのです。 今となっては30年近く前、私が20代で勤めた会社で、東大卒の課長が言っていたのです。「うちの会社は、東大卒の人間を日大・駒沢大・専修大卒の人間と同じ扱いにする会社だ」と。そういう状態、そういう会社を「日東駒専」と言うのです。今回のタイトルの中の「日東駒専」という言葉は後の方の意味です。入社する時には「〇〇くんが応募してくれた時はびっくりしたなあ。慶應大学出身の人間がうちの会社に応募してくれるのかと思った」と言いながら、採用すると、中卒以下の扱いにしかしない、できない会社に11年余りも勤めて・・・、実際のところ、疲れた。
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990年代はじめ、私が(株)一条工務店に入社してすぐの頃、営業本部長のA野T夫が「〇〇くんが応募してきた時はびっくりしたなあ。慶應大学卒の人がうちの会社に応募してくれるのかあと思った」と言ったのですが、それほど大企業でも有名企業でもなく未上場の会社だけれども、そこまで喜んでくれるのなら悪くないかと思い、その会社のために滅私奉公を続けたのですが、(株)一条工務店のような「日東駒専」以下の会社の中卒高卒の経営者が使えるのは、せいぜい「日東駒専」の技術系学部、建築業においては建築学科等卒の人間くらいまで、ということだったのかもしれません。
   そういう会社の中卒の経営者からインテリアコーディネーターをとってくれと言われて、自分が勤めた会社の上役が言うことなのだから、何としてもとらないといけないと思って大変な努力・苦労・工夫をして合格してみせたところ・・・→「通った? さっすがやなあ~あ。おめでとう」と言われただけだったのです。馬鹿にしてんのかと思いました。自分が取ってくれと言って、それで大変な努力・精進を尽くして取得させて、それはないだろ!と思いましたが、「中卒のおっさん」の言うことなんか真面目に考えた私がアホだったのかもしれません。
   インテリアコーディネーターというのは、私は、その資格を取得するまでに学ぶ内容は十分に評価されておかしくない内容であると思いますし、男性が取得した場合、社会科学系学部卒の人間が取得した場合についても、もっと評価されてよいのではないかと思うのですが、現実に、社会科学系学部卒の人間が取得した場合、男性が取得した場合については、「コストと利益を比較衡量して」考えた場合、どうも、利益がコストに比べて大きいとは言い難い資格であるように思える・・・・ということを否定できません。
   (2016.12.5.)

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