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社会科学系学部卒・男性のインテリアコーディネーター

主として、「インテリアコーディネーター」と住宅・建築・インテリア・不動産に関係する資格と資格試験に関係する内容

私には工学部だの建築学科だのは行かせてもらえない学部だった。底辺の私立大学の建築学科だの建築専門学校だのに行った人間を見ると、今もむかついてしかたがない、という話

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私には工学部だの建築学科だのは行かせてもらえない学部だった。底辺の私立大学の建築学科だの建築専門学校だのに行った人間を見ると、今もむかついてしかたがない、という話

[第7回]
   私は何の因果か住宅建築業の会社に長く勤めることになり、資格も住宅・建築関連の資格をいくつも取得したが、中学生や高校生の頃から、あるいは小学生の頃からそういう方面に進みたいと思っていた人間ではなかった。
   高校を卒業する頃は、心理学・心身医学・精神医学・精神分析学・大脳生理学といったものに関心があり、そういった方面の研究者になりたいと思っていた。 「学者」になれないのなら、ともかく、そういう方面の専門の仕事につきたいと思っていた。 そうでないまったく別の方向ならば、司法試験を受けて裁判官か弁護士になりたいと思っていた。 しかし、我が家の父親はそういう考えではなかった。 ロナルド=レイン『家族の政治学』(みすず書房)は名著である。題名からしてすばらしい。 私は、我が家における「家族の政治学」に勝てなかったのだ。 予想外に親は卑劣な手を使ったと思う。 特に父親は卑劣極まりない手を使ったが、彼にとってはそれが当然の行動だったようだ。 その結果、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行きたくないと思う学部に行かされてしまい、嫌だ嫌だと思いながら、結局、4年になってしまい、就職するしかないということで、就職説明会とかに行くと、名前と受験番号さえ書けば合格できるような「大学」の生徒が来ていて、そういう人間というのは、「同じ大学なのに、大学によって差別されるのはおかしい」とか胸を張って言うのだ。 私が高校を卒業する年、東大を落ちた後、父は「高校は義務教育じゃないのに、おまえなんぞが高校に行ったのは余計じゃ」と私の顔の鼻のあたりを指さしながら何度も何度も言い続けたものだ。 その基準から行くならば、氏名と受験番号さえかけば合格するような「大学」に行くような人間なんぞ、義務教育であろうがなかろうが小学校行ったのは余計じゃ、と言いたくなる・・・・が言ってもしかたがないから言わないできたが、しかし、その気持ちはずっと持ち続けてきた。

   住宅建築業の会社に勤めると、どうも、住宅建築業の業界においては、建築学科卒の人間がえらそうにしているところがある。 私は、建築学科でやっていることと社会科学系学部でやっていることは両方が必要なことで両方が役に立つものであり、どちらが上でも下でもないはずであると思ってきたし、今も思っている。ところが、建築学科卒の人間には、建築学科卒の人間は社会科学系学部卒の人間に機嫌をとってもらう権利があると認識している連中が多い。これは、ひとつには、建築業界の社長・経営者というのは、たいていが中卒か高卒であり、そういう経営者は、社会科学系学部卒の人間と中卒・高卒の人間を「平等」に扱わないといけないという信念を持っており、その「信念」を通すためには、社会科学系の学部でやっていることというのは、「卒業すると価値がなくなる」とかいうことにしたいらしいのだ。 その結果、法学部・経済学部・商学部・経営学部卒の人間というのは、建築学科卒の人間より下の扱いにするのが当然という認識になるらしい。 (株)一条工務店にいたとき、営業本部長の天野隆夫から「営業は設計には何でも従え」だの、「営業は口きくな」だのと、いったい、何回言われたことか。 (株)一条工務店では、そういう非常識なことを口にする人間が「営業本部長」だったのだ。
   ひとつには、大学卒業後、新卒入社した小堀住研(株)は、求人票には、「技術系」〔設計・工務(積算)・工事・アフターサービス〕の応募資格は「4年生大学の建築学科もしくは土木学科卒の者」で、「営業系」(営業・人事・総務・経理など)の応募資格は「4年生大学の法学部・経済学部・商学部・経営学部卒の者」であり、「技術系」と「営業系」はどちらが上でも下でもなく、「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社」、「ミサワホームあたりの営業は高卒の人が多いですけれども、小堀住研の営業は大卒の営業です。 同じ営業でもミサワあたりの営業と小堀住研の営業とでは営業は営業でも営業が違います。」「小堀住研とミサワホームでは営業という職種の社会的位置づけが違います」と言っていたのであり、少なくとも、求人票の表記では、「営業系」は「技術系」と比べて下の仕事ではなかったのです。それに対して、(株)一条工務店では、営業本部長の天野隆夫が「営業は頭のない人間がええんや、頭のない人間が。営業はアホが向いてるんや、アホが」と何度も口にしていた。 「女の子のスカートめくりに行ったりして、おまえ、いったい、何やってるらあ、というようなそんな男が営業には向いてるんや、営業には」「ぼくらも学校でてないから、だから、気さくで人間味があるんや。営業にはそういう人間が向いてるんや。そう思うだろ。思いますと言え」と言われ、無理矢理、「思います」と言わされてしまったが、無理矢理、「思います」と言わすような人間が「気さく」で「人間味」があるかというと疑問に思う。 又、営業本部長の天野隆夫は「羽根付きの暴走族みたいなクルマに乗ってるやつとか、リーゼントのヘアスタイルにしてるやつとか、そういう何を考えてるらとかいうようなそういうのんが営業にはええんや、そういうのんが」と私に言ったことがあった。私はそれを聞いて「こういうのんが営業本部長やってるんだ、こういうのんが」と思ったことがあった・・・・が、(株)一条工務店はそういう会社だったので、それで、「営業」という職種の人間の社会的位置づけ、社内的位置づけが引き下げられてしまったということが原因のひとつにあったと思う。大学でも法学部・経済学部・商学部・経営学部といった所でやっていることは、「知らなくてもやっていける」と思っていたらしく、それに対して建築学科を卒業してきた人間の場合、名前と受験番号さえかけば合格できてカネさえあれば行ける私立大学の建築学科卒の人間でも、「学校でてる」という扱いにして、法学部・経済学部・商学部・経営学部卒の者は「中卒以下」の扱いにした。 そういう会社に、まあ、よくも11年以上も勤めてきたなあと、よく頑張ったなあと自分をほめてあげたい気持ちと、アホちゃうかという気持ちの両方思うところがある。

   会社の運営は、社会科学系学部卒の人間の能力なしにできるだろうか。 できると経営者が考えているのなら、その会社は「その程度の会社」ではないかと思う。 (株)一条工務店は「その程度の会社」であった。 私が辞めてから10年以上経つが、おそらく、今も「その程度の会社」であろう。あの会社が「その程度の会社」でなくなるということは、簡単ではないはずだ。
   そういう「その程度の会社」に、まあ、よくも辛抱強く10年以上も勤めたものだと、その我慢と努力について自分をほめてあげたい気もするが、アホちゃうかという気もしないでもない。 (株)一条工務店では、初代社長の大澄賢二郎が「新卒入社の人間は大事にしないと出身大学に情報が行くから大事にしないといけない。その点、中途採用の人間は出身学校に情報が行くといったことはないから、その心配はない。求人広告さえだせば人みたいなもの、いくらでも採用できる。求人広告はいくらでも費用をかけてどんどん出せ。中途採用の人間はどんどん採って片っ端から辞めさせろ!」と言っていたそうで、そういう思想のもとに、新卒入社の人間には入社3年目に韓国か台湾への旅行をさせ、入社5年目にはヨーロッパへの旅行を会社が費用を出して行かせていた・・・・のだが、ある営業所で一緒だった入社3年目のぼくちゃんが言うには、入社3年目の韓国か台湾への旅行のことを「卒業旅行」と新卒入社の人間の間では言っており、その「卒業旅行」に行かせてもらって辞めるというのが普通であり、4年目以降も(株)一条工務店にいるような人間には、「おまえ、ま~だ、一条工務店、卒業できないのお~お? さっさと卒業しろよなあ~あ」とみんなで言っているというのだ。そして、入社4年目に入った人間のことを「留年」と言っていたらしい。・・・「求人広告はいくらでも費用をかけてどんどん出せ。中途採用の人間はどんどんとって片っ端から辞めさせろお!」と社長が叫ぶ会社、かつ、求人広告には「ノルマはありません」「研修制度が充実していますから売れなくて困ることは絶対にありえません」だの「売れて売れて困っています」とか嘘ばっかり書きまくって、そして、入社すると、「ノルマはないがガイドラインがある」とか言い出す会社では、「新卒入社の人間は大事にしなければいけない」として3年目に会社の費用で韓国か台湾へ旅行させ、5年目にヨーロッパに会社の費用で旅行させるとかして据え膳の扱いにした新卒入社の人間に、その会社の体質、経営者の人間性が見抜かれてしまっていたようだ。

    それで、私は、高校を卒業する頃、心理学・心身医学などの関心があった人間だった。「心理学」「心身医学」「精神医学」「精神分析学」「大脳生理学」がどう違うかということが、高校生くらいの頃はよくわからなかった。 心理学科は文学部か教育学部にあり、精神科は医学部にあり、心身医学は病院の「科」としては「心療内科」であり、医学部に属し、大脳生理学となると理学部か・・・・。 で、心身医学と精神医学の違いもよくわかっていなかったが、心身医学というのは、「心で起こる体の病」をなんとかしようというもので、「精神医学」というのは、この人が異常だ、この人が悪いんだと「スケープゴート」にされてしまった人を「治療」と称して加工する連中である・・・・が、そのあたりについては、高校卒業するころはよくわかっていなかった。 ともかく、人間が人間らしく生きることができるように、心理療法家のカール=ロジャーズの言葉を使うなら「自己一致した状態」による「完全なる機能」を実現して、その結果として、学校という所においては成績も向上し、職場においては仕事の成果があがるようになればと思っていた。 そういう人間が商学部に行ってしまったので、商学部の科目としては、労務管理論などに比較的魅力を感じて学習した。又、小学生の頃から法律の本を読んだりしていた人間だったので、労働法なども学習した。 だから、会社というところに勤めた場合には人事総務関係か法務部に勤めることができればと思っていた。 大学4年を2回やり、最初の4年の時に来てもらいたいと言ってもらった会社に卒業しなくても来てもらってかまいませんと言ってもらい、2回目の4年の時に、週に2回だけ大学の講義に出ながら勤めたが、そこでは人事総務部にいた。 2回目の4年を終えて卒業した後、住宅建築業の小堀住研(株)に勤めて、そこで、小堀住研(株)では営業の方が給料がいいということを聞き、又、戸建住宅建築業の営業の内容を研修で学び、こういう営業なら自分にもできるのではないかとも思って、戸建住宅の営業に進んだが、最初に人事総務部の仕事に関係したので、その後、どういう職種についても、人事総務の視点と営業の視点の両方の視点で見るようになった。 だから、(株)一条工務店などは、高卒の社長と中卒の営業本部長が、自分たちのすぐまわりは一族と縁故で固め、その周囲は中卒高卒の人間で固めて、中卒高卒の人間というものを、私など比較的上の方の評価の大学を出てきた人間との間の防波堤のように考えていたようだが、もしも、会社のカネを横領しようとしたとかいったことでもあるなら警戒されてもしかたがないだろうが、そんなことなんか何ひとつしていないし、一貫して会社のために滅私奉公を続けてきたのに、なにゆえに、警戒されて、どう考えても私なんかよりも問題が多いと思われるような人間で中卒高卒の人間の方を自分たちの近くにおいて「防波堤」にしようという態度には、いったいな~にを考えてるらあ~あ・・・という気がした・・・・のだが、そんなちっぽけな経営者の会社によくも11年以上も勤めたものだ・・と感心するが、えらいかアホかはよくわからん・・・。

   ともかく、私はもともとが人事総務の人間だったのが、営業を長くやることになった、又、もともとが、文武両道型人間で、そして、文理両道型人間であった。ロスタンの『シラノ=ドゥ=ベルジュラック』には、シラノを「詩人で名剣士、科学者で、しかも音楽家」と表現する場面があったが、私はまさに「詩人で名剣士、科学者で、しかも音楽家」のつもりだった。(株)一条工務店では、たとえば、私が入社2年目に設計として中途入社してきたその頃20代の半ばだったT(男。当時、20代なかば)なんぞは明治大学の建築学科卒で、2年目に転勤していった先の福島県いわき市の営業所にいた新卒入社2年目だったか3年目だったかのH田(男。当時、20代前半)に至っては東洋大学の建築学科卒だということだったが、私なんぞは、大学に進学する時、経済学部・商学部・経営学部だけは首をもがれても行かされたくないと思ったし、自然科学分野か人文科学分野かに行きたいと思い、もしも社会科学分野でなら法律学科ならまだいいと思っていた人間だったが、父は「うちは工学部なんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と何度も言ったものだった。 私は「国立大学なら工学部でも理学部でも法学部でも文学部でも学費は同じのはずだ」と言ったのだが、母は「100パーセント通るとは限らないでしょうよお。 もしも、落ちた時には私立に行かないといけないのだから、工学部なんか受けたらいかんでしょうよ。何を甘ったれた口きいてますの。」と言い、父は「だ~れが工学部なんか行かすもんか」と言っていた。母も同調していた。
   小学生の頃、私の親は「世界の偉人伝」といった本を買って私に読ませた。そこで「偉人」とされていたのはどういう人かというと、パスツール・キュリー夫人・エジソン・リビングストンといった自然科学者・医学者、それに、福澤諭吉・新井白石・ナポレオン・トルストイ・ベートーベン・キリストといった人たちだった。このうち、キリストはなろうと思ってもこれはそう簡単ではないと思うが、キリストを別にすれば、トルストイは文学者、ベートーベンは音楽家、キュリー夫人とかパスツールとかは自然科学者、リビングストンは医者で、エジソンについては実は相当胡散臭い存在であって「エジソンの発明」と言われるものは他の人間の発明をカネで買ったものが相当あったとか言うのだが、そのあたりはとりあえず置いておくとして「発明家」だった。そういった自然科学の分野での発見・発明をする研究者とか、トルストイの作品は今読むと、まあ、よくもまあ、これだけくっだらないカスみたいな小説を次から次へと書けたものだとあきれるのだが(トルストイの小説なんぞ読むと眼が腐る! トルストイの作品は頭脳に害がある。)、ともかくも、トルストイは「小説家」「文学者」だった。 そういう自然科学者とか文学者とか音楽家とかそういったものに私がなろうとすれば、親は喜んでくれるだろうと思っていたのだ。なにしろ、こういう人が「偉人」ですよおと書かれた「偉人伝」を読まされたのだから。誰が読ませたかというと、親が読ませたのだ。
   ところが、大学に行く時になると、私に自然科学者・発明家・医者・文学者・音楽家といったものを「偉人」だと教えたはずの両親は、それまでと正反対の態度をとり出したのだ。 「うちは、工学部なんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」「6年間も大学に行かないといけないような医学部はやめなさい。4年で卒業できる学部にしなさい」「うちは大学院になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」「うちは学校の先生になんかならせるような金持ちとは違います。たとえ、学校の先生になるにしても、数学か英語の先生でなかったらなってはいかん。理科や社会の先生ではアルバイトで家庭教師はできないからなってはいかん。学校の先生になるにしても、英語か数学にしなさい」「うちは司法試験なんか受けさせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」「国家公務員は転勤が多いからなってはいかん」「マスコミに勤めるなら産経新聞かNHKにしなさい。朝日はアカやから勤めてはいかん。毎日もアカだからいかん」「音楽家だの絵描きだのなんて、もってのほか」とか言うようになりました。
   父は、たしか、「もし、もう一度、生まれ変わるなら、岩城宏之さん、朝比奈隆さんのような指揮者になる♪」と言っていたはずだったのです。「ちゃんちゃんちゃ~んちゃちゃかちゃか♪、チャンチキチャンチキチャンチキ♪」とか言っていたはずなのです。特に、朝比奈隆は京都大学のオーケストラの指揮者からプロの指揮者になった人で、芸大・音大に最初から行った人ではないわけでしたが、昔から声楽家と指揮者と作曲家は最初から音楽家を目指していたわけでもない人がけっこういます。チャイコフスキーはもともとは役人だったらしいし、ボロディンは化学者で医者だったといいます。ハンス=ホッターは最初はミュンヘン大学の哲学科に入り、そこから声楽家の方に進んだらしいし、岡村喬生は早稲田大学でグリークラブに入ったところから声楽家の方向に進んだそうでそれまでは音楽家になるつもりはなかったといいます。そして、朝比奈隆は京都大学のオーケストラで指揮者をやったところから音楽家の方に進んだ。自分が「もしももう一度生まれ変わったなら、岩城宏之さん朝比奈隆さんみたいになる」とかそう言うのなら私がそういう方向を目指したとしても応援してくれても良さそうな感じがしないでもありませんでしたが、そうではなかったのです。岩城宏之だか朝比奈隆だかになりたいのはあくまでも父がであって、私がなりたいと思うなどは「もってのほか」だったようです。私に対しては「すべてを親コッコッコのためにささげつく~す。とってちってたあ~あ!」だったのです。
  「すべてを会社のためにささげつく~す。とってちってたあ~あ!」「撃ちてしやまん。一億火の玉」「欲しがりません、勝つまでは」「木口小平はちんでもラッパをはなちまちぇんでちたあ~あ。とってちってたあ~あ!」と父は毎日毎日私に言いました。
  「すべてを会社のためにささげつく~す! 犠牲の精神! 会社のために犠牲になりたい犠牲になりたいなりたいなりたいという気持ちい~い!」「すべてを親コッコッコのためにささげつく~す!」「親コッコッコ、親コッコッコ、親コッコッコ! まんまんまんまんまんまん。親コッコッコ、親コッコッコ、ま~んまんまんまんまんまんまんまん」「このわしに親孝行せえよお、ま~んまんまんまんまん。ま~んまんまんまんまん」と毎日毎日私に朝から晩まで言っていました。そして、「わし、あんたに親孝行せえなんて、今まで一言も言ったことないやろ」と言い、「わからんか?」と。あんた、今、「親コッコッコ、親コッコッコ」と言うたばっかりと違うんか?と思いましたが、父は言ったつもりはまったくなかったようです。言った記憶はかけらもなかったようです。「難儀なやっちゃなあ。わしいのように、親孝行せえなんて一言も言ったことのない神さまのような親やのにからに、それがわからんとは。な~んぎなやっちゃなあ、こいつ、絶対おかしいわ」とか言っていました。たしか、直前に「親孝行せえよお、このわしに親孝行せえよお。ま~んまんまんまんまん。ま~んまんまんまんまん」とか言っていたはずでしたが。そして、「すべてを親コッコッコのためにささげつく~す! とってちってたあ~あ! ロスケどもをやっつけてや~る。日教組は全員死刑であ~る。共産党は刑務所に入れろお!」とか毎日毎日叫んでいました。

  私は小学校の1年から努力して他の同級生が遊んでいる時も勉強して、小学校でも中学校でも学年で上から何番目かの成績を続けて、大阪で一番の高校に行って、そうやって努力してきたのだから、大学は行きたい大学の行きたい学部に行かせてもらえるだろう・・・・と思ってきたら、そうではなかった。 「あんたとわしとは人間としての階級が違うんやぞ。わかっとるやろなあ。あんたとわしとは民族が違うんやぞ。心得違いを起こしてはならぬぞ、チャンコロ。わかっとるやろなあ、チャンコロ」と父は毎日毎日私に言いました。 「階級が違う」「民族が違う」というのはどういうことかというと、「世の中というのは、自分ではやらずに人に命令する人間ばっかりでもいかんし、自分では考えずに人に命令されてなんでもせっせせっせとやる人間ばっかりでもいかんわけや。 神さまはたいへん賢明なお方であって、人間を『自分ではやらずに、ひとに命令したり号令をかけたりする階級』の人間と、『自分では考えずに、ひとに決められて、号令かけられて、せっせせっせとやる階級』の人間の両方がおらんといかんわけや。わしいとかT子さん(上の姉)とかM尾さん(会社の父の部下)とかM川先生(父の親友の医者屋)とかは人に命令をして号令をかける階級やねん。それで、あんたあは『自分では考えずに、ひとに決められて、号令かけられて、せっせせっせとやる階級』やねん。これは神さまがお決めになったことであって、決して変えることは許されないことやねんで。 だから、わしいとかがあんたあとかに命令して号令かけたるわけや。せえっせ、せえっせ、せえっせ、せえっせ。 とってちってたあ~あ、とってちってたあ~あ、とってちってとってちってとってちってたあ~あ!」「それからやな。世の中には、『常に人に命令する民族』と『常に人から命令されて動く民族』の2通りの民族がおるわけや。これも、世の中はどちらか片方では成り立たんわけで、神さまはたいへん賢明なお方であって、ドイツ人とかアメリカ人とかは『常に人に命令しなければならない民族』『常に人を支配し統制を加えなければならない民族』でやなあ、わしいはドイツ人やねん」と言っていました。(え?あんた、日本人だとばっかり思ってたら、ドイツ人やったの?・・・と思ったのですが、ドイツ人だったそうです。)「チャンコロというのは、これは『常に人から支配されなければならない民族』として神さまに作られた人間やねん。あんたあはそれや。おまえはチャンコロやぞ、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ。おまえはロスケでイタコでチャンコロや」と言っていました。
  「ロスケ」とはロシア人のことで裏切者を意味し、「イタコ」はイタリア人のことで根性無しを意味し、「チャンコロ」は中国人のことで「常に人から支配されるために神さまから作られた民族」のことだそうです。それで、私がその「ロスケでイタコでチャンコロ」だそうで、父は「ドイツ人でアメリカ人」だと言うのです。素朴な疑問として、アメリカ合衆国には中国系アメリカ合衆国人(血筋としては中国系だが国籍はアメリカ合衆国)という人もいるはずなのですが、そういう人というのは「支配しなければならない民族」なのか「常に人から支配されるために神さまがお造りになった民族」なのかいったいどっちなのか・・・、これ考え出すと今晩寝られなくなっちゃうね・・・と思うのですが、そういうややこしいことは抜きにしまして、ともかく、私がその「神さまから常に支配されるための民族」として作られた「チャンコロ」だそうで、「常に人に支配されるための階級」だそうです。そして、「神さまは大変哀れみ深いお方でもあってやなあ。チャンコロにもまたチャンコロとしての人生を用意してくださっているわけであ~る。即ち、『常に人に服従するための人生』『常に人に支配されるための人生』というものを神さまはチャンコロには用意してくださっているわけであ~る。神さまに感謝しろお!」と私に何度も何度も言いました。「チャンコロ」というのは私のことです。
  「階級の違いを忘れるな」「民族の違いを忘れるな」と言われますと、言われた側といたしましては・・・、
「不忘階級苦」(階級の苦しみを忘れるな!)
「不忘民族恨」(民族の恨みを忘れるな!)
「造反有理」(反逆には理由がある)  「革命無罪」(革命は無罪だ)
とでも言いたくなってくるのですが・・・・。 父が言うには、父と我が家の兄弟の中で父の味方にいつもつく上の姉と父の勤め先で父の言うことを何でもきくらしい部下のM尾さんと父の親友の医者屋のM川との4人と聖徳太子とヒットラー総統のこの6人が「ドイツ人」らしいのです。で、私が「典型的なチャンコロ」だそうです。 「ちゃんこうろう、ちゃんこうろう、ちゃんちゃんこ~ろころ、ちゃんころころ」と毎日毎日私の鼻の頭を指さして叫んでいました。 毎日毎日、そう言われてきたおかげで、ドイツとアメリカ合衆国は嫌いになりました。そして、イタリアとロシアと中国には、なぜか親しみを感じるようになりました。なにしろ、私は「ロスケでイタコでチャンコロ」ですから。
   そういえば、父が会社の仕事でアメリカ合衆国に行く時、「アメリカ(合衆国)っちゅう国は、えらい人間はちびっとでアホがいっぱいおる国らしいなあ。わしいみたいな人間はちびっとしかおらんわけや。そんで、ニグロとかプエルゥトリコとかそういうけったいなヤツがいっぱいおる国やねん。要するに、あんたあみたいな人間がいっぱいおるいうこっちゃ。あんたは、プエルッとりこ、あんたは、プエルッとりこ」とか言っていました・・・・が、「アメリカ合衆国という国は、『ワスプ(WASP)の国』と言って、ホワイト・アングロサクソン・プロテスタントという白人でアングロサクソンでプロテスタントの人間が支配する国だと言われていて、日本人もその『けったいなやつ』の側と違うのですか。お父さんだって日本人なんだから、アメリカ(合衆国)に行くと、『けったいなやつ』の側になるのと違いますか」と私は言ったわけですが、そうすると、「アホなこと言いなさんな。わしいみたいなえらいえらいえらいえらい人間が、そんなもん、『けったいなヤツ』の側であるわ~けがない。およそ、ありえないことを言いなさんな。奇妙奇天烈なことを言ってはならんぞ、チャンコロ。わしはチャンコロとは違うんやぞ、チャンコロ、わかっとんのんか、チャンコロ」とか言っていました。そして、「あんたはプエルッとりこ、あんたはプエルッとりこ」とか何度も何度も言っていました。 そうやって、何度も言われてきたおかげで、ロシアとイタリアと中国に続いて、プエルトリコにもなんだか親しみを感じるようになりました。
   ヒットラー総統がドイツ人だというあたりはまだしも、よくわからんのは聖徳太子です。日本人だとばっかり思っていたら、聖徳太子はドイツ人だったらしい・・・・が、関裕二氏の本など読むと、『聖徳太子は蘇我入鹿である』とかいう説が出てきたようで、そうなると、蘇我入鹿もドイツ人だったのか・・・・・???

   蘇我入鹿がドイツ人だったかどうかの話はさておきましてえ・・・・・。 我が家はこういう家庭でして、私は、建築学科に行きたいと思ったとして、そして、親が行かせてやろうと思ってくれたとして、東大の理科1類に合格できたか、京大の工学部建築学科に合格できたかというと、東大・京大に限ったことではなく、阪大の建築学科にしても、神戸大でも東京工大でも早稲田大でも、ともかく、ある程度以上の難易度の所に合格しようと思ったならば、「絶対に合格する」などということは、誰であれありえないわけです。 そんなことはない、俺は「絶対に合格する」とか言う人があったとしたら、それは、学歴詐称で実際は底辺の私立大学に行ったような人がカッコつけて言っているか、もしくは、現役ですんなりと行きたい大学に合格して行った人で、自分がなぜ合格できたかといったことを理解するよりも前に合格してしまったような人ではないかと思います。 ある程度以上の難易度の所であれば、「絶対に通る」などということはありえない、というのが、何より、二浪もしてしまって私が学んだ認識ですから、これは人生の財産だ、よかったよかった・・・・とか言って喜べる性質のものではないのですが、間違っていないはずです。 もし、私がどこかの建築学科を受けていたとして合格できたかどうか、東大の建築学科に行けたか、京大の建築学科に行けたかというとそれはわからないけれども、とりあえず、どこか国立大学の建築学科に行くことができたかというくらいなら、どこかに行けた可能性が高いわけです。そのために小学校の1年から他の同級生が遊んでいる時も勉強してきたのです。しかし、「親というものは、子供が大学に行く時になって、行きたいと思う所に行けるように、進みたい方向に進めるようにと思って、それで無理にでも勉強させうようとするものなんや」と言っていた母も父に同調して、「工学部なんてとんでもない」とか言ったのです。 そう言われて、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部に無理矢理行かされてしまった人間としては、(株)一条工務店で入社2年目に中途入社で入ってきた明治大学の建築学科卒だというTとか、2年目に福島県いわき市の営業所に転勤で行った時に、いわき市の営業所に設計の職種でいた新卒入社2年目だったか3年目だったかの東洋大学の建築学科卒だというH田とかなんぞ見ると、こいつら、超人的に甘ったれている人間で、世界一の大金持ちの息子なんだろうなと理解され、なにより、正直なところ、「甘ったれるな!」と言ってやりたいし、「おまえなんか、小学校行ったのは余計じゃ」とも言ってやりたい気持ちでいっぱいでした。
   そもそも、明治大学だの東洋大学だのといったわけのわからない私立大学に行く人間がなぜカネのかかる工学部建築学科なんぞに行くのか理解不能でした。 そんな学校に行くような人間がなにも大学に行く必要はないのじゃないか。 たとえ、行くにしても、お金のかからない学部に行けばいいのじゃないのか、とも思えました。 もっと、正直に言うならば、明治大だの東洋大だのに建築学科なんてものがあるのが間違っていると思いますし、そんな学校にあつかましくも行って卒業して「学校でてる」とか大きな顔している人間を見ると、「たっぷりとウエートの乗った右ストレート」でもお見舞いしてやりたいくらい・・・・ですが、そうもいかないでしょうからそれはやらないできましたが、私からすれば、そのくらいの気持ちなんです・・・・が、東洋大だの明治大だのの建築学科なんてものを卒業してきた人間にはそういう意識はないようです。
   浪人していた時、予備校の近くに天満宮があって、そこに行ったことがあったのですが、高校生の「不良みたい」な男女がそこに「デート」?に来ていたのを見ました。私なんぞは、高校の英語の先生が「女性のことが気になって気になってと、そういう状態になったら、もう伸びないね」と言われ、自分でもそういうものだ、少なくとも大学に合格するまでは、女性のことなんて考えてはならないと思ってきました。 慶應に入ってある「サークル」に入ると、「見るからに不良高校卒」て感じの男がいて、実際、彼は自分で言うのに底辺の高校卒だったそうですが、高校の時からタバコを吸っていたようでしたが、私の場合、「タバコは記憶力の低下を招くとともに、タバコ1本で5分寿命が縮む。大学で学問を志す者にとって、タバコを吸うなどとはもってのほか」と思ってきました。そうやって努力してきたのに、不良高校卒で高校からタバコを吸って来たヤツの行く大学に行かされてしまいました。「広告研究会」だのと言って女性を強姦輪姦するような連中の大学、そんなヤツの大学には行きたくないと思えばこそ勉強してきたのに、そういう人間の学校に行かされてしまいました。「天地は広いというが、私にとっては狭くなってしまったのか」(『貧窮問答歌』)と思いました。「天は我を見放したあ~あ」(『八甲田山』)と思いました。
   浪人中、予備校の近くの天満宮に来ていた不良の男女は、ああいう人というのは高校を卒業した後すぐに就職する人であって大学には行かない人なのだろうと思っていたのですが、実際はそうではなく、そういう高校卒業までちっとも勉強なんかしていない人間が「大学」という所に行くらしいのです。 そして、そういう人間が、「建築学科」とかに行って、そして、会社に就職すると、「慶應なんかは卒業すると価値がなくなる大学だ。ぼくなんかは建築学科でてますから」とか大きな顔をして言うのです。 「右ストレート」だけでなく、「左フック」とか「右アッパーカット」とかもお見舞いしたくなってきます・・・・が、そうもいかないのでそれはしないできましたが、しかし、そのくらいの気持ちがします。
   東洋大の建築学科なんてあつかましくも行ったような男というのは、こいつの親はいったい何をやってる人間なんだと思ったら、H田の親は中学校の校長先生だと聞いたので、校長先生の息子が東大にでも行ったというのならともかく、東洋大やてえ~え!、校長先生の息子が東洋大なんて行って大きな顔してんのかあ~あ・・・・と思ったのですが(だいたい、学校の先生の息子が東大行ったというのならわかりますが、学校の先生の息子が東洋大やて、そんな先生に教えられたら成績下がりそうでいややな・・・・て、思いませんか?)、建築業界では「建築学科卒」の人間は、それだけで、エライのです。あほくさいけれども。(〔株〕一条工務店では営業本部長が「営業は設計の人間にはどんなことでも服従しろ」と発言したのです。その発言は営業系の職種の従業員に対する侮辱であり、人権侵害だと思いますけれども。) だから、臥薪嘗胆。今に覚えてろよとずっと思ってきました。

   実際のところ、東洋大なんてそんな学校に行くような人間が、なぜ、高校に行くのか。高校は義務教育じゃないはずなんです。余計じゃないですか。どう考えたって。そうでしょ。私が高校を卒業した年に東大を落ちたところ、「高校は義務教育じゃないんだから、おまえが高校行ったのは間違いなく余計じゃ」と父は何度も何度も言ったものです。耳鳴りがするくらいにその文句を聞きました。今でも耳鳴りのようにその文句が耳元で聞こえます。なんで、東洋大なんてわけのわからない「大学」に行くような人間が高校に行くのですか? どうして?  なんで、そんな人間が建築学科なんて行くのですか? なんで、そんな人間が工学部なんて行くのですか? 中学校の校長先生てそんなに給料高いのですか?
   父の勤め先は大企業ではありませんでしたが、それでも、父は、ともかく常務取締役でした。「わしは、会社っちゅうところでは、もんのすごいえらいえらいエライ人間やねんぞお。本来、あんたあなんかは、一目お顔を拝ませていただきたいと願っても決してお顔を拝ませていただくことはかなわないというそのくらいエライ人間やねんぞお。わかっとんのんか、チャンコロ。おまえはチャンコロやぞ、チャンコロ。 わしは普通の人間と違うんやぞ。わしはスーパーマンやぞ。わかっっとんのんか、わしはスーパーマンやぞ」とか言っていました。「わしはスーパーマンやぞ。知っとったか?」と言われたのですが・・・、知らんかった。パーマンかと思とった・・・。 ともかく、大企業ではないとしても、父はともかく常務さんだったのですが、息子には「たとえ、国立大学でも工学部だの建築学科だのなんてとんでもない。うちはそんなお金のかかる大学に行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな。非常識にもほどがある」ということだったのです。中学校の先生て、東洋大なんてそんな奇妙奇天烈な学校の建築学科にバカ息子を行かすことができるような高い給料をもらっているのでしょうか。 いくらなんでも、払いすぎと違いますか、その校長先生の給料は。

   もっとよくわからんのは、建築専門学校なんてものがあって、そういう無試験ヨーコーで入れる学校に行こうというような甘ったれた人間がいるのです。 「私立大学の下の方」ですら入れないような人間が、何も高校を卒業してまで就職しないで専門学校なんて行く必要ないじゃないですか。そういうのを「モラトリアム人間(病)」と「診断」して「治療」してやるべきではありませんか。 甘ったれるのもいいかげんにしたらどうでしょうか。のぼせあがるのもたいがいにしたらどうでしょうか。

   母の叔母の夫、母の義理の叔父ということになるのでしょうか。母の叔母夫婦は私が小学校の低学年頃まで近所に住んでいまして、母の叔父は小学校の先生をしていたのです。その息子ですから母の従弟(いとこ)になりますが、母の母(祖母)は長女で、母は長女の長女でしたが、その叔母は母の母(祖母)の一番下の妹だったもので、母の従弟(いとこ)は母と同年代ではなく母の長女(私の姉)より少し上くらいの年齢でした・・・・が、その方は東大に行かれましたよ。なんで、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいたH田は、中学校の校長先生の息子なのに、東大に行かずに東洋大なんて行くのですか? 学校の先生なら、もっと、まともに子供の教育やって、せめて、国立大学くらい行かせたらどうなのでしょうね。東洋大なんて、普通、行きますか? 学校の先生の息子が! 息子を東洋大なんてそんな学校に行かすような先生に教えられたのでは、成績さがってしまいそうですね。 その先生、そういうこと考えたことないのですか? 先生を職業にしている親ならもっとまともな教育したらどうでしょうね。

   私の場合、このような経緯で、私立五流大学の建築学科でたとか、建築専門学校に行ったとかいう人間を見ると、なんか、不潔な人間を見るような気持ちがしてきて、近づかれると、なんか、ビョーキうつりそうて感じがしてきて嫌なのです。 なんで、こんなやつが中学校行ったのだろうという気がしてきます。 高校は義務教育じゃないのに、なんで、東洋大なんて行くようなヤツが高校行ったのか?  よっぽど金持ちなんでしょうね・・・。

   旧型司法試験の場合、法学部卒でなくても受験は可能で、何学部でもともかく4年制大学の教養課程(2年まで)を終了すれば1次試験免除で受けることができました・・・・が、建築士の試験は旧型司法試験のように、何学部でも受けられるというわけにはいきません。建築学科を卒業すれば二級建築士は実務経験なしで受けられる、土木学科を卒業すれば1年の実務経験で受けられる。 建築学科卒で2年の実務経験を経れば二級建築士に通っていなくても一級建築士を受けることができる、という制度ですが、受験番号と氏名さえ書けば合格でカネさえあれば行けるという私立大学の建築学科でも卒業すれば建築士の受験資格は取得できるのですが、そんな連中よりも、小学校の時の算数も中学校・高校の時の数学も高校の物理も生物も化学もずっと良い成績をとってきたのに、私には、社会科学系学部卒では建築士の受験資格はなかったのです。
   だから、インテリアコーディネーターも取り、キッチンスペシャリストもとり、宅地建物取引主任者の試験にも合格しました。「なにくそお」⇒「ざまあみろ!」と思ってやりました。 おまえら、建築学科でてる、学校でてると生意気な口をきくが、五流以下大学の建築学科卒だと自慢しているが、インテリアコーディネーター も キッチンスペシャリスト も 宅地建物取引主任者 も通らんだろうが。 俺は通ったぞ。 おまえら、何ひとつ、通らんだろうが。それで、建築学科卒の設計士さまか!?! 何ひとつ通らない設計士さまか!?! それが「学校でてる」人間か!?! と思って資格試験も、負けるもんか、こん畜生! 何があっても建築学科出てるヤツにだけは負けるもんか! と思ってやってきましたが、ところが「インテリアコーディネーター 兼 キッチンスペシャリスト 兼 2級建築施工管理技士 兼 宅地建物取引主任者 にして 建築CAD検定2級」よりも、二級建築士ひとつなんとかやあっとこせえで通ったという方が、建築業界では評価は上らしいです。 あほくさいですけど、そうらしいです。
それだけではなく、建築業界での評価は、「インテリアコーディネーター 兼 キッチンスペシャリスト 兼 2級建築施工管理技士 兼 建築CAD検定2級」よりも、建築関連の資格なんてひとつも合格できない、「(名前と受験番号さえ書けば合格の)私立五流以下大学建築学科卒」の方が上なんです。本当にあほくさいですけど。建築業界ておかしいですよね。どう考えたって!
    で、そういう人は言うのです。「慶應なんて学校が役に立つのは大学に行っている間だけだ。慶應は卒業すると何の価値もなくなる大学だ。 マーケッティングなんてものが役立つのは大学に行っている間だけだ。マーケッティングなんてものは卒業すると何の価値もないものだ」と。(「マーケティング」は「マーケティング」であって、「マーケッティング」と違うんですけれどもね・・・。) で、「マーケティング的発想」から考えると、とんちんかんなものを設計するのです。自称「設計士(さま)」は。
(日本には「設計士」なんて資格は存在しません。一級建築士・二級建築士・木造建築士・1級建築施工管理技士・2級建築施工管理技士という資格はありますが、そういった資格試験に合格できない人間で、かつ、「いっきゅうけんちくしい~い」と言えばひとは言うことをきくみたいな態度だけとりたいというそういう人間だから、「設計士(さま)」とかありもしない資格もどきを捏造して主張するのでしょう。)
 
   (2016.12.6.)

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