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社会科学系学部卒・男性のインテリアコーディネーター

主として、「インテリアコーディネーター」と住宅・建築・インテリア・不動産に関係する資格と資格試験に関係する内容

上役が取ってくれと言う資格は取得するべきか【5/6】「努力する姿勢があるから通る人間」を「何の努力もしないのに通る」と思っている経営者。退職者の就職妨害する会社

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上役が取ってくれと言う資格は取得するべきか【5/6】「努力する姿勢があるから通る人間」を「何の努力もしないのに通る」と思っている経営者。退職者の就職妨害する会社

[第18回]
  職場においては、同僚と「世間話」「雑談」「日常会話」のようなものをすることがあります。そういう中で、住宅建築業の会社に勤めた者が、建築・住宅関連の資格で自分が取得したものに話をしたり、取得しようかと考えているのだがといった話をすることもあります。して悪いことはありません。1990年代、私が、インテリアコーディネーターとキッチンスペシャリストの資格を取得しようと学習していた時期、福島県いわき市の営業所にいた人で、「そんなもの、取るよりも、二級建築士を取ったらどうなんだ」と言ってくれた人がありました。もし、その資格試験に合格するために学習した内容が、戸建住宅建築業の業務にどれだけ関係するかという点で考えると、インテリアコーディネーターという資格試験の内容は戸建住宅の営業の仕事には相当関連があります・・・が、世間での評価ということを考えると、インテリアコーディネーターは今一つ高くなく、特に男性が持っていても評価されにくく、二級建築士の方が取得した時、勤め先での評価においても、転職する場合の評価においても、評価が高い。 資格はその資格の試験に合格するための労力とその資格を持っていることに対する評価が、必ずしも、比例関係にあるわけではない。取得する労力は相当のものであるにもかかわらず、評価が低い資格もあれば、それほど合格するのが大変ではないけれども、取得するとそれなりに評価してもらえるという資格もあるのです。 その人が言ってくれたのは、インテリアコーディネーターもキッチンスペシャリストも、けっこう難し試験で難関だが、そのわりに取得しても評価が低く、むしろ、二級建築士は自分も取得したけれどもそれほど難しいわけではないが、取得するとそれなりに評価してもらえる資格なので、その点から考えると、インテリアコーディネーターやキッチンスペシャリストを受けるよりも二級建築士を受けて取得した方がいいと思う、という意見を言ってくれたのでした。それは、一理あると実際にインテリアコーディネーターとキッチンスペシャリストの両方に合格して登録した私は思います。但し、インテリアコーディネーターとキッチンスペシャリストは「受験資格」というものは特になかったのに対して、二級建築士は、4年制大学の建築学科卒なら「実務経験」なしで受験できますが、建築学科以外の学部学科の卒業ですと「学歴なし」の評価になって、「実務経験」が7年必要になったのです。工業高校の建築学科や建築の専門学校・短大の建築学科の場合は、その中間の年数が必要です。結果として、私は、インテリアコーディネーターとキッチンスペシャリストを取得しましたが、その人は好意で言ってくれたのです。
   (株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は、私に、インテリアコーディネーターを取得するように言ったというのは、あれは言い方から考えても、会社の上役として取得してくれという意味だと考えるべきものです。 単に、「日常会話」とか「雑談」とかで、適当に言った話ではありません。 又、たとえ、「日常会話」や「雑談」「世間話」の中での発言でも、「営業本部長」といった役職を持つ人間が口にした場合は、一般に、「世間話」ではすみません。 「日常会話」「雑談」「世間話」の中での発言でも、一般従業員の発言と営業本部長といった役職の人間の発言は意味は同じではありません。(最近、安倍晋三首相の嫁の発言が問題になったりしていますが、嫁は首相でも議員でもないといっても、現実問題として、「首相の嫁」はそうはいきません。)
     「もしかして・・・・」とか、「まさか・・・・」と思うのは、2001年、栃木県南部の営業所長だった木下が「インテリアコーディネーターにしても宅建主任(宅地建物取引主任者→宅地建物取引士)にしても、あんたは何の努力もしていないのに簡単に通る。ぼくらはどんなに努力しても取らない。不公平だ。ずるい」などという暴言を吐いたのですが、さらに続いて、総務部長の天野雅弘が「そうだ、その通りだ。インテリアコーディネーターにしても宅建主任にしてもあんたは何の努力もしていないのに簡単に通る。俺らはどんなにしたって絶対に通らない。不公平だ。ずるい。」と発言したのです。念のためにお断りしておきますが、インテリアコーディネーターにしても、宅建主任(宅地建物取引主任者→宅地建物取引士)にしても、私は決して「何の努力もしていないのに」「簡単に」なんて通っていませんからね。涙ぐましい努力と工夫の末、やっと通ったのであって、「何の努力もしていないのに」通ったりしていませんし、「簡単に」なんて通っていませんからね。
  木下や天野雅弘がインテリアコーディネーターや宅建主任(宅地建物取引主任者→宅地建物取引士)の試験に通らず、私が通ったのは、それはなぜかというと、私はその2つの資格試験の勉強をしたからで、彼らはその資格試験の勉強をしなかったからです。これが基本です木下も天野雅弘も宅建主任についてもインテリアコーディネーターについても、真剣に合格しようという努力なんてしていないはずです。「僕らはどんなに努力したって」と言うからには、何らかの努力をしてはどうかと思うのですがが、何もせずに言っているのです。
  「『失敗』と書いて『成長(せいちょう)』と読む」
と野村克也が書いていたが、大学受験においての失敗は、逆にそこから、受験についての対し方を学んだ面もあります。だから、そういう経験がある人間とない人間なら、ある人間はその分だけ合格しやすいところはあるでしょう。例をあげるなら、2001年、(株)一条工務店の栃木県佐野営業所(展示場)にいた旧姓 S藤M美(女。当時、20代後半。後に結婚してK林。さらに後に離婚したかどうかは…知らん。)は「『私は資格ゲッターになりたいんです』と言いたい女」でした。「資格ゲッター」てそりぁなんじゃあ? 昔、「ゲッターロボ」なんて漫画だかアニメだかがあったがそれのことかあ~あ?・・・とか私なんかは思うのですが。資格というものはそれを取得して仕事に生かしてこそ価値があるのであって、資格を取得するためだけに人生を送るというのは愚かだと思うのだ。
※ 《ウィキペディア-ゲッターロボ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%9C
《YouTube―公式】ゲッターロボG 第1話「甦れゲッターロボ!!」》https://www.youtube.com/watch?v=CMHm81g91W8
旧姓 S藤M美さんは「資格ゲッター」ではないのです。あくまで「『私は資格ゲッターになりたいんです』と言いたい女」なのです。私は同じ営業所にいて、「この人、同じことをいったい何回言ってるのお?」とあきれた。この人は、要するに、何かの資格を取得したいという人ではなく、「私は資格ゲッターになりたいんです」と言いたい人なんだな、と思いました。私が中学生の頃、ラジオのNHK第二放送で「基礎英語」という番組があり、そこのダイアログで、
生徒「先生、英語の勉強はどのようにやったらいいでしょうか」
先生「きみは、さっきからここで僕を待っていたのかい」
生徒「そうです。先生に英語の勉強のしかたを質問したいと思いまして」
先生「その待っている間、何をしていたのだい?」
生徒「何もしていません」
先生「それなら、その間の時間、英語の勉強をすればよかったのじゃないかい。それが英語の勉強法だよ」
・・というものがありました。S藤M美さんも、もし、何かの資格を取得したいと思うのならば、「私は『資格ゲッター』になりたいんです」と何度も何度も繰り返し言っている間に、取得したい資格の勉強をすれば良かったのではないでしょうか。 ニューヨーク州立シラキュース大学の精神科教授トマス=サズの『「精神医学」という神話』(岩崎学術出版社)で、トマス=サズは「彼らが言っていることを聞くのではなく、やっていることを見るべきだ」というアインシュタインの言葉を引用しています。このアインシュタインの姿勢は重要です。(私は、アインシュタインがどこで言ったのか調べたかったのですが、今もって見つけることができませんが、言ったのがアインシュタインかアリストテレスかアンデルセンかなんてことは重要ではありません。「彼らが言っていることを聞くのではなく、彼らがやっていることを見るべきだ」という視点が大事なのです。)S藤M美さんが「言っていること」を聞くのではなく「やっていること」を見て判断するならば、S藤さんは「『私は資格ゲッターになりたいんです』と言いたい人」になりたい人であって、「資格ゲッター」とかいうなんかようわからんゲッターロボの友達みたいなやつではないのです。もしも、何らかの資格を取得したいのなら、人に「私は資格ゲッターになりたいんです」だのと、ぎゃーすかぎゃーすか言いまくるのではなく、自分が取得したいと思う資格の勉強を黙ってやって黙って受けてさっさと通ればいいのです。なんで、受けて通らないのですか?・・・・というと、トマス=サズが『「精神医学」という神話』で引用していたアインシュタインの「彼らが言っていることを聞くのではなく、彼らがやっていることを見るべきだ」という見方、この場合ですと「旧姓S藤M美が言っていることをきくのではなく、やっていることの方を見るべきだ」とするならば、S藤さんは「資格ゲッター」とかいうゲッターロボの友達みたいなのになりたいのではなく、「『私は資格ゲッターになりたいんです』と言う女」というものになりたい人なんだな・・・ということがよくわかります。それから、15年以上経ちましたが、もしかすると、旧姓S藤M美さんは今もあいかわらず言っているかもしれませんね。「私はゲッターロボになりたいんです」と。・・・なりたきゃ、なればあ( 一一)
   私なら、もし、何かの資格を取得しようと考えたなら、まず、無暗に人に話しませんね。通る前に、無暗矢鱈とひとに話したなら、「そんな難しい資格、おまえなんか通らんだろ~」とか言い出すヤツが出てくるかもしれませんし、「そんなん、受けてもしゃあないやろうが」とか言うやつが出てくるかもしれません。落ちた時に祝杯あげるヤツが出てくるかもしれません。私がインテリアコーディネーターを最初に受けた年、東京営業所の人間と電話で話をすることがあった時、「今、東京営業所では、〇〇さんが通るか落ちるか、かけてるんですよ」とか言いよった。「みんな、落ちる方にかけて、通る方にかける人間いなくて困ってるんですけど」とか・・・・・。あのなあ、おまえらなあ~あ・・・・・。まあ、そんなのは、たいした問題でもないのですが、実際問題として、「落ちる方」を祈願するヤツだって出てこないとは限らんわけです。まさに、夏目漱石『草枕』の冒頭と一緒ですよ。「智に働けば角(かど)が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」 本多勝一が『冒険と日本人』(集英社文庫)の中で、太平洋をイカダで横断しようとして失敗した金子健太郎とヨットでの横断に成功した堀江健一の違いとして、堀江健一は「ともかく実行した」という点をあげている。それと似たところがある。資格試験なんてものは、通る前にひとに余計なことを話すとその分だけ合格が遠のく。ひとに話すのは合格がわかって登録してから後で十分である。このあたりの認識も私は大学受験の失敗から身をもって理解した。 私はこういう認識を「おのれの骨と肉のきしみと引き換えに」身に着けた。私と同じだけの汗を流さず、私と同じだけの涙を流していない人間に理解できてたまるものか。
  そして、2001年、S藤M美(女。当時、20代後半)は、インテリアコーディネーターの試験の願書を出したらしいのだが、試験日になると、「受けても通らないから」と言って受けにいかなかった。アホやな・・・。この場合、「通らない」のを「アホやな」と言っているのではない。願書だしたのなら、通るか通らないかにかかわらず、ともかく、試験会場まで行って、ともかく、わかる問題だけでも解答を記入して、さらには、インテリアコーディネーターの1次試験(学科試験)というのはマークシート方式で3つだか4つだかの選択肢から選ぶものなのだから、ともかく、どれか塗ってくるべきなのだ。ともかくも、試験会場まで行って受験番号と氏名だけでも書いてくるべきなのだ。そうすれば、試験会場の雰囲気だけでもわかるし、自己採点すれば、今現在の時点ではどのくらいの点数がとれるのかわかり、向こう1年間で何点くらいアップすれば合格点になるのかといったことを考えることもできる。なんで、願書だしておきながら受けにいかないんだ。 そういえば、今は昔、『巨人の星』て漫画で、星飛雄馬の青雲高校野球部と練習試合で対戦した花形満のなんとか高校の選手が、バッターボックスで星飛雄馬の剛速球を見て「あんな球、打てるものじゃない」と思って萎縮した時、ネクストバッターズサークルにいた花形がバッターボックスにいるバッターに「ともかく、そのバットを振れ!」という場面があった。願書だしたら、ともかく、試験日には試験会場まで行け! 試験会場まで行ったら、ともかく、解答用紙に、ともかく、書け! ・・・て、あたりまえのようだが、現実に試験日になると、「受けても通るわけない」とか言って試験会場に行かないという人がいるのだが、それは愚かである。「受けて、落ちた」というのをひとに言うのが嫌だ、カッコ悪いと思うのなら、最初から「受ける」ということを言わなきゃいいのだ。もしも、言うなら、通ってから「受けた」と言えばいいことだ。そもそも、資格試験なんて、「受ける」だのといちいちひとに断らないといけないものではないのだ。まず、こういう受験の基本てものからして、「受験のベテラン」とそうでない者とには差がある・・・が、こういう認識というのは、「何の努力もしていないのに」「簡単に」身に着けたものではない。おのれの汗と涙と引き換えに、悔しい思いと引き換えに身に着けたものであって、「何の努力もしていないのに」身に着けたものではない。
 
  (株)一条工務店の栃木県南部営業所の所長だった木下や総務部長の天野雅弘が「あんたは何もしなくても簡単に通る」などと言ったのだが、私はインテリアコーディネーターにしても宅建主任にしても、決して「何もしなくても」通ったのではないし、「簡単に」通ったのでもないのだが、しかし、インテリアコーディネーターの1次試験(学科試験)に関しては、戸建住宅建築業の会社に勤めてきた人間なので、試験対策として「何もしなくても」正解を選ぶことができた問題がいくつかあった。たとえば、「ガラス繊維強化プラスチックの略称は?」とかいうと、一般の人は知らないが、戸建住宅建築業の会社に勤めてきた者であれば、「FRP」 (fiber reinforced plastic ファイバー レインフォースト プラスチック)と答えることができる。そういう問題がいくつかあるのだ。だから、1年目に受けた時は、ほとんど勉強できずに受けたが、それでも、100点満点で60点台の成績は取れた。たしか、合格最低点は70点台だったと思うので、あと10点ほどアップすれば合格ということだった。但し、その「あと10点」というのをアップするのがけっこう大変だったが。
   大学入試でも、東大とかに現役でさっさと通ったという人と話をすると、「早稲田みたいなもん」とか言うひとが中にいるわけだ。「早稲田は東大より試験科目が少ないのだから通るでしょ」と。ところが、実は、その「・・・・みたいなも~ん」てのを、実は、東大とか京大とかを目指してきた者がけっこう落ちるんだわ。その「みたいなも~ん」てのを。 実際問題として、東大や京大に通って、早稲田とか慶應とかを落ちたて人の話は珍しくも何ともない。京大に通って同志社を落ちたて人もいる。慶應に通って関学に落ちたて人も知っている。そんなものなのだ・・・が、現役で国立大学だけ受けてさっさと通ったという人には、「なんで、早稲田みたいなもん、落ちるねん」なんて思っている人がいて、また、口にする人がいるが、けっこう、落ちるんだって・・・て言ってやってもわからんやつはわからんので、もう、黙ってよ・・・てことになる。さすがに、東大や京大を目指す人間は、亜拓大東帝国なんてところは落ちないと思うが、逆に、たとえ、通っても行きたくないだろう。
   それで、もしも、大学入試の問題みたいのが出題されるのなら、東大・京大あたりを目指して通ったり落ちたりしたことのある人間で20代から30代前半くらいの者ならば、亜拓大東帝国くらいの入試難易度の試験が出題されて、それを受けるのであれば、特別のことをしなくても通る可能性が高いと思う。 なぜなら、それよりも難易度の高い試験に通るべく、過去の努力してきたのだから。 それに対して、インテリアコーディネーターの1次試験というのは、大学入試で出題されるような内容とは出題内容が違うのだ。だから、たとえ、大学入試の時にどんなに模擬試験などでいい成績をとっていた人間であっても、だから、通るとかいうことはないのだ。
   もしくは、「合格させるための試験」というものがある。たとえば、宅地建物取引主任者→宅地建物取引士 の試験に合格した人で、過去10年以内に2年以上の「実務経験」がある人は「登録」することができるのだが、過去10年以内に2年以上の「実務経験」がない人は、「実務経験にかわる講習」というものを受けないといけない。私が宅建主任の試験に合格した1992年の頃は、半年ほど、通信教育を受けて何回か解答を郵送した上で3日間の講習を受けて、それぞれの日の終わりに試験があったが、今はかなり変わって、半年間の通信教育というものはなく、自習用の教材は送られてくるようだが、それについての解答を郵送する必要はなく、講習会場に行くのも2日間になり、2日目の最後に試験があるという制度になったようだ・・・が、この最後の試験というのは、これは、基本的には「合格してください」「通ってください」という試験である。だから、絶対に落ちないというものではないのだが、「通ってもらおうという試験」なので通る可能性が高い。 工事現場で、レッカー車で荷物を吊ったものをレッカー車の運転士に置く場所を支持したり、吊荷をくくったりする作業の資格である「玉掛け技能者」の資格を1995年だったか取得したのだが、これも、2日間、学科講習を受けて、3日目に実技講習を受けて、試験を経て資格を取得するというものだが、基本的にはある程度以上真面目に受講した人には取得させてあげようという試験である。しかし、「取得させてあげようという試験」であっても、落ちる人は落ちる。だから、「基本的には、『合格させてあげよう』という試験」というものがあって、それでも落ちる人もいるのだけれども、そういうものについて、「あんたなら、通るだろう」と言うのなら、話はわかるのだ。しかし、インテリアコーディネーターというのは、1次も2次もけっこう大変な試験で、1次も2次も「基本的には、『合格させてあげよう』という試験」ではないのだ。
  
もしかして、(株)一条工務店の営業本部長とか総務部長とかいうのは、「一流大学」卒の人間は、インテリアコーディネーターでもキッチンスペシャリストでも、宅地建物取引主任者→宅地建物取引士でも、本当に「何の努力もしていないのに」「簡単に」通ると心から思っていた・・・なんてこと、いくらなんでも、まさかないと思っていたのだけれども、もしかすると、そんな認識でいたのかもしれない。

   大学受験の際の勉強がある程度できている人間なら通る可能性が高い、というような試験であるか、もしくは、真面目に受講した人には合格させてあげようというタイプの試験であるかならば、真面目に受講するであろうと考える人間なら「通る可能性が高い」。 しかし、ある程度の期間、ある程度、作戦を練って学習すれば通る可能性はあるが、落ちる可能性だってある・・・という試験の場合は、本人が、はたして、その試験を受けて、その資格を取得するのが人生にとって益になるのかどうか・・・ということをよく検討吟味した上で受けるかどうか、決めるべきである。 そうでないならば、取得しても、何年かに一度の更新の際に何万円か支払うだけ・・であって、「人生の無駄遣い」をしただけでしかない・・・ということになってしまう可能性がある。 会社の上役たる者は、その人間にその資格を取得させた上で、こういう仕事をさせたいという構想があるのなら、この資格を取ってくれと言ってよいが、そういう構想がもしもないのなら、取得するために、ある程度以上の労力と時間を要するものを、無責任にとってくれと言うべきではないと思う。
   再度、言う。「どちらでもできる」と「両方できる」は同じではない。私は、高校卒業する頃は「ブンケー人間」か「理系人間」かというと「理系人間」だったと思うし、大学の学部で言えば「理学部型」か「哲学科型」だったと思うのだ。だから、高校卒業の頃か卒業した頃に建築学科の方に進んでいたならば、けっこう優秀な「建築家」か「設計士」とかになったかもしれないが、そういう方向に進まなかったのだ。だから、実際に進んだ所から考えて、《「社会科学系学部卒の者」であるが「理系的思考もできる者」》という「文武両道の文治派」で「文理両道型人間の社会科学系学部出身者」という位置で会社に貢献するのがいいと考えていたのである。それでも、会社の上役が製図の試験を必要とする資格を取得してもらいたいということならば、上役の指示か希望かである以上は取得してみせるけれども、そういう経緯で取得させておきながら、取得すると、「合格した? さっすがやなあ~あ。 おめでとう」・・・・で、それで終わり、というのは、あまりにもひとをバカにし過ぎている。いったい、何のつもりだったのか、ということになる。結論として、「そういう会社じゃないですか。そういう人じゃないですか」ということなのかもしれない。そして、「そういう会社」の「そういう人」にひっかかった者がアホだったのかもしれない。
   もしも、インテリアコーディネーターとキッチンスペシャリストの学習をせずに、旧型司法試験とか税理士の試験とかを受けて弁護士なり税理士なりの資格を取得していたなら、その資格で「特に高給かどうかはさておき、食べていける可能性が高い」ということになっただろう。 もしくは、英語・イタリア語・ロシア語・フランス語・ドイツ語のいずれか1つの検定試験を受けて1級程度に合格すれば、転職しようという場合にそれはプラスになったと思う。もしくは、建築関連なら、インテリアコーディネーターやキッチンスペシャリストを受けるのではなく、いっそのこと、4年制大学の建築学科に学士入学して卒業すれば、二級建築士の受験資格も得て、そして、二級建築士を取得すれば、「インテリアコーディネーター+キッチンスペシャリスト」よりも「建築学科卒+二級建築士」の方が建築関連の職場に雇ってもらうには、男性の場合は有利であったはずである。
  私は今でも、「旧帝大系国立大学か早慶の経済学部もしくは商学部もしくは経営学部卒+インテリアコーディネーター(+キッチンスペシャリスト)」は住宅・建築・インテリア関連の会社においては役に立つ・・・と思っているのだが、自分が採用する立場、処遇を決める立場であるならばいいのだが、自分が応募する側の立場、処遇を決められる側の立場である場合には、面接で、採用担当者がおかしなことを言っても、「あんたの考え方はおかしい」とそこで言うわけにもいかないのであり、あまりにもおかしい場合には、そんな所に行かなくたっていいよ、てことになるけれども、どこかに行かないわけにはいかないわけで、ちょっとくらいおかしいと思っても我慢するしかない・・・と考えると、それなら、最初から、取得するための労力・時間は相当要するけれども世間で高く評価してもらえない資格を取得するよりも、取得した時には「特に高給であるかどうかはさておき、食べていける可能性が高い資格」か「その業界においては、相当高い評価を受ける資格」かを取得するようにした方が良かった、ということになる。
   結論として、「中卒の営業本部長の言うことなんて、真面目にきいたヤツがアホ」ということになるのかもしれないが・・・・、そんな会社のためにせっせと滅私奉公したのはもっとアホだったのかもしれない・・・が、普通は、会社の上役がとってくれと言った資格を苦労して努力して取得した人間というのは、それに応じて評価するものであって、《あんたが通るのは「ずるい」》だの「不公平だ」だの「差別だ」などと悪態をつくものではないと思うのだがなあ・・・・。個々の従業員でそういうことを言う人間が1人・2人いたとしてもありうることだが、会社の営業本部長とか総務部長とか営業所長とかは普通はそういうことは言わないものだし、そんなことを言うようでは営業本部長だの総務部長だのにはならないと思うのだがなあ・・・・・。

  その資格を取得させた上で、その会社で、どういう仕事をさせようという構想もなく、何何を取得してくれ、と要求するというのは、それは、相手の人生を破壊する行為であり、これは失礼である。
  
(株)一条工務店では、2001年、栃木県南部営業所長の木下(男。当時、40代前半。最終学歴:高卒)が「業者に、『もし、一条工務店を辞めた人を採用するなら、仕事をまわさないぞ』と言ってるんだ。 『辞めた人を採用すれば仕事をまわしてもらえると思うなら逆だからな。 もし、辞めた人を採用したら、仕事をまわさんからな』と言ってるんだ」と営業所で話していた。木下はそういうことの是非善悪を判断する能力などない人間であるから、おそらく、営業本部長の天野隆夫あたりから指示されて言っていたのであろうと思われるが、縁あって自社に入社してくれた人が、何らかの理由で退職したならば、その後、その人に向いたいい職場に就職できるように願うべきものであって、退職者の就職を妨害するとはとんでもないことである。木下は、なんだか、自分は就職を妨害される側の立場になることはないと信じたような口のきき方をしているが、(株)一条工務店の経営者は木下以上に(もしくは「以下に」)、自分は関係ないみたいに勝手に思っている軽佻浮薄な人間が大好きである。
  1990年代なかば、山一證券という大企業が倒産したが、「コロッセオが滅ぶ時、ローマも滅び、その時、世界も滅びる」と言われるように、山一證券なんて会社が倒産する時には、その時には日本の多くの会社はつぶれ、もちろん、(株)一条工務店なんてちっぽけな会社はつぶれているであろう・・・なんて思っていたら、なんとも摩訶不思議なことに、山一證券がつぶれたのに(株)一条工務店はつぶれずに存続している。世の中、不思議なこともあるもんやな・・・とか思ってものだった・・・が。しかし、雑誌で読んだ話では、山一證券は会社はつぶれても、元従業員には再就職先を紹介してくれたという。それに対して、(株)一条工務店の場合は、会社は存続して、オーナーの大澄賢二郎は「一条工務店はもうかってる。一条工務店にはカネみたいなもん、あり余ってる。一条工務店にはカネみたいなもん、いくらでもある」と言いながら、従業員の給料を払う時になると、「そんなもん、利益の出てないのに払えるわけないだろわけないだろうが」とかごまかして、そして、大澄は「求人広告の費用はいくらでも出せ。求人広告さえ出せば、人みたいなもん、いくらでも採用できる。中途採用の従業員は、どんどん採って、片っ端から辞めさせろお!」「新卒入社の人間は簡単に辞めさせると、学校の関係で情報が伝わって、その後、採用しにくくなるから大事にしないといけないけれども、中途入社の従業員はそういうことはないから、いくらでも辞めさせればいい」と叫んでいたというのであるが、それだけではなく、辞めた従業員が、転職しようとすると、「うちの会社を辞めた人間を採用したなら、仕事をまわさんからな。うちの会社を辞めた人間は絶対に採用してはいかんぞ」と業者を脅して、再就職を妨害しようとするのであった。なんとも、卑劣な人間である。 こんな対応をしていたのでは、そのうち、誰かに刺されるぞ・・・なんて思うと、なんと、1996年8月、オーナーの社長の大澄賢二郎の息子の大澄隆史が同棲していたこともある女性を刃物で百カ所以上も刺して殺し、逃げたがつかまって懲役20年の刑を宣告された・・ということがあった。なんともまあ、刺されるのではないかと思えた人間の方が人を刺し殺したとは・・・、まあ、なんといいましょうか、まあ・・。息子が女性を刺し殺したということで、名目上、社長を退いた大澄賢二郎が、最近、再び、表に出てきて、浜松市に「防潮堤の費用」という名目で300億円の寄附をすると言い、浜松市長で慶應大学a 法学部卒の鈴木康友と福島第一原発事故の直後、静岡県産の茶葉の放射線量調査を拒否した静岡県知事の川勝平太が、「大変ありがたいことだ。一条堤とでも命名して永く記録にとどめたい」とかアホなことを言って称賛した、というのがニュースに出て、それを見て、息子が人殺しでおのれもまた1993年9月には安全対策不備で福島県いわき市草木台で屋根屋を墜落死させた大澄賢二郎を偉人聖人みたいに思う白痴が出現したりしていたようだが、その男は、自社を退職した人間の就職を妨害するような卑劣な人間なのであり、カネもらったからとそれを称賛する浜松市長の鈴木康友・静岡県知事の川勝平太もまた、それに加担していると見られても文句は言えまい。
  私なども、転職先にまで、誹謗中傷の話を伝えられているようだが、そこまでやるようだと、された側もされっぱなしではすまされないということになってくる。
  大澄賢二郎は「新卒入社の人間は、学校を通じて情報がいって、次、採用しにくくなるから大事にしてやらないといけないが、その点、中途入社の人間は情報が伝わることはないから、いっくらでも辞めさせればいい。求人広告さえ出せば人みたいなもん、いくらでも採用できる。求人広告はいくらでも出して、どんどん採用して片っ端から辞めさせろお」と叫んでいたというのだが(普通に考えて、「一条工務店はもうかってる。一条工務店にはカネみたいなもん、いくらでもある」と社長が豪語する会社が、片方でひとを辞めさせるというのは、それは労働法の上では「解雇権の濫用」と評価されるはずではないのか、と思うのだが)、「中途入社の人間は情報が伝わることはないから、いっくらでも辞めさせればいい。・・・」「いっこうに、何の問題も、まったくない」と大澄が言っていた通りなのかどうか、ともかく、大澄が「いっこうに問題ない」と叫んでいるのであるから、とりあえず、この場で、事実を事実として公開しておくことにする。
     (2018.6.9.)
  

  次回、【6/6】学習法は人それぞれ。人生の設計を考えないと、男女とも「資格は取れても美貌は消える」ことになりかねない。http://shakaikagakukei.blog.shinobi.jp/Entry/19/


☆ 会社の上役が資格を取れと言う資格を取得するべきか
【1/6】男性に不利なインテリアコーディネーター、認知度の低いキッチンスペシャリスト http://shakaikagakukei.blog.shinobi.jp/Entry/14/
【2/6】「一流大学」出身者に敵意を持つ経営者の会社 http://shakaikagakukei.blog.shinobi.jp/Entry/15/
【3/6】本人の得意分野でもなかった資格の取得を要求して取らすだけの経営者の会社 http://shakaikagakukei.blog.shinobi.jp/Entry/16/
【4/6】「一流大学」卒の者があまりにも「下の会社」に行くと「かえってよくない」 http://shakaikagakukei.blog.shinobi.jp/Entry/17/
【5/6】「努力する姿勢があるから通る人間」を「何の努力もしないのに通る」と思っている経営者。退職者の就職妨害する会社 〔今回〕
【6/6】学習法は人それぞれ。人生の設計を考えないと、男女とも「資格は取れても美貌は消える」ことになりかねない。http://shakaikagakukei.blog.shinobi.jp/Entry/19/

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